ハメット・ダシール(Dashiell Hammett)
1894年(明27)、アメリカのメリーランド州生まれ。本名サミュエルダシールハメット。
家が貧しかったため、14歳から多くの職業遍歴し、1915年(大4)、20歳のとき、ピンカートン探偵社のボルチモア支局に入り、私立探偵の仕事に就く。
1921年(大10)に結核が悪化し会社を辞めた後、小説を書きはじめ、1922年(大正11)、ピーターコリンスン名義で「帰路」を「ブラックマスク」に発表。
1925年(大14)、二人目の子供が生まれることから原稿料の値上げを交渉したが、決裂。小説の執筆を断念し、宝石店の広告担当支配人となる。しかし、結核が悪化し、退職。
1928年(昭3)、処女長篇「血の収穫」を「ブラックマスク」に発表し、大反響を巻き起こす。
1930年(昭5)、「マルタの鷹」を「ブラックマスク」に発表。
1932年(昭7)に「レッドブック」に連載し、1934年(昭9)に刊行した「影なき男」は、ペイパーバックが探偵小説としてはじめて百万部以上を売上げ、記念賞を得る。
1937年(昭10)、共産党に入党。
小説が次々と映画化され、自らもパラマウントのシナリオライターとなり、ハリウッドの左翼映画人と親しくなったが、赤狩りの時代が訪れると、1951年(昭26)に裁判所へ召喚されるが、証言を拒否、法廷侮辱罪で禁固刑を命じられる。
1961年(昭36)、肺結核により死去。
ハードボイルドの始祖である。
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