チャップリンへの影響、その他
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/06 00:29 UTC 版)
「ヘティ・ケリー」の記事における「チャップリンへの影響、その他」の解説
ヘティに会ったのは全部で五回、しかも一回が二十分以上になったことはほとんどない。だが、この短い交渉はすっとあとまでわたしの心に傷を残した。 — チャールズ・チャップリン(中野好夫(訳))『チャップリン自伝』119ページ 大言壮語の気があるとしてもヘティは、チャップリンの母で「世界一のパントマイム芸人」のハンナ・チャップリン、「チャーリー(英語版)」像の確立に間接的に貢献したエドナ・パーヴァイアンスと並んで、チャップリンの生涯に大きな影響を与えた女性の一人である。ヘティはチャップリンにとっての「理想の女性像」を確立したとされ、チャップリンの伝記を著した映画史家のデイヴィッド・ロビンソン(英語版)は、チャップリンがミルドレッド・ハリスと1918年に結婚したのはミルドレッドに「子どものような性格が輝いて」いたのに惹かれた結果とし、その要因にヘティの存在を挙げている。第二次世界大戦後になっても、『ライムライト』(1952年)製作時にクレア・ブルームのための衣装を選んでいた際、「ヘティはこんな服を着ていた。母はこんな感じだった」と口にしていたことをクレア自身が回想している。影響の負の面については定かではない。 ロビンソンはまた、イライザがヘティとチャップリンの交際に良い顔をしなかったのは、チャップリンを「将来の見込みもないケチな寄席芸人ごとき」とみていたからだとする。事実、ヘティも含めて3人の娘はいずれも財産や地位のある男性と結婚するが、このうちイーディスの結婚がヘティの血縁者とチャップリンを結びつけることとなった。イーディスはアメリカの富豪フランク・ジェイ・グールド(英語版)と結婚するが、グールドが映画界に進出した際に弟アーサーがその仕事に関わることとなった。アーサーはチャップリンとの面会後にユナイテッド・アーティスツに入社して会計担当やチャップリンの代理人を務め、のちにユナイテッド・アーティスツ副社長を務めた。 1992年公開のリチャード・アッテンボロー監督によるチャップリンの伝記映画『チャーリー』では、モイラ・ケリーがチャップリンの三番目の妻であるウーナ・オニールとの二役でヘティを演じた。
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