チベット仏教内の関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 06:27 UTC 版)
「ダライ・ラマ14世」の記事における「チベット仏教内の関係」の解説
ダライ・ラマはチベット仏教の中の一宗派であるゲルク派の事実上の領袖であり、チベット仏教にはゲルク派以外にもいくつかの宗派があるが、現在、ダライ・ラマはゲルク派の最高指導者ではなくチベット仏教の最高指導者であると言われ、チベット仏教の法王であるとも言われている。現に全宗派の管長はダライ・ラマ14世によって認定されている。ゲルク派以外でも、亡命チベット人のソギャル・リンポチェ(英語版)(ニンマ派)は現在のダライ・ラマである14世をチベット仏教の最高の長とみなしている。ただし、近代以前のチベットの宗教と社会を研究している社会人類学ジェフリー・サミュエルは、歴史的にはチベット仏教のいずれの宗派も、ゲルク派を除けば統一的な組織構造をもつ教団があったとは言い難く、ゲルク派にしても、代表者たるダライ・ラマと諸寺院の力関係は時期によって異なり、完全にダライ・ラマによって統率された組織ではなかったとして、ダライ・ラマ14世が亡命後に得たチベット人全体の政治的・宗教的指導者としての立場はそれまでのダライ・ラマとは異なるとしている。 また、14世はゲルク派の教えのみならず、チベット仏教の超宗派運動の精神を20世紀前半に体現したジャムヤン・ケンツェ・チューキ・ロドゥー(英語版)の直弟子などからニンマ派やカギュ派の教えも受け継いでおり、ジャムヤン・ケンツェ・チューキ・ロドゥーの弟子であるソギャル・リンポチェは、ダライ・ラマ14世はチベット仏教の全宗派のさまざまな領域において権威者であるとして敬意を表している。このように多分に超宗派的な活動を行っているダライ・ラマ14世は、亡命チベット人をまとめ上げる結節点となっており、さまざまな宗派に属する亡命チベット人が政治的な観点から14世の地位を認め、その下に結集している。しかしその超宗派的姿勢がゲルク派内の一部の保守層の反発を招いた[要出典]ことに加えて、ゲルク派の護法尊ドルジェ・シュクデンを祀ることに公然と反対したことから、ゲルクの主流派から分離したシュクデン派による争議が起こった(シュクデンおよびシュクデン問題(英語版)を参照)。
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