ダイヤモンドバックスのエースへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 09:49 UTC 版)
「ブランドン・ウェブ」の記事における「ダイヤモンドバックスのエースへ」の解説
ダイヤモンドバックスとウェブは、シーズン開幕前の2006年1月に4年1950万ドル(5年目は球団オプション)で契約を延長する。こうして迎えた2006年、ウェブは開幕から8連勝を記録するなど勝ち星を重ねていき、最終的には16勝で最多勝利のタイトルを獲得(他5人とタイ)。ほかにも防御率3.10(リーグ3位)・178奪三振(同10位)・WHIP1.13(同2位)・235.0イニング(同2位)と好成績を残し、シーズン終了後にはサイ・ヤング賞を受賞した。しかし、勝利数が最も重要視される同賞の歴史上、ウェブの16勝は最少だったため、ウェブを「ナショナルリーグ最優秀投手」と考える者は少数派だった。 2007年のウェブは勝利数・防御率・奪三振の3部門全てで前年を上回る成績を記録。また、7月20日のカブス戦で6回裏に2失点してから8月22日のブルワーズ戦で初回表に再び点を取られるまで、42イニング連続無失点を達成した。これは1940年以降のMLBでは歴代5位の記録である。この間、1998年のロジャー・クレメンス以来となる3試合連続完封も記録している。サイ・ヤング賞は投手三冠のジェイク・ピービーに譲り、2年連続の受賞は逃したが、ボブ・メルビン監督は「彼は、シーズンを通して僕らの心の中でサイ・ヤングのような偉大な存在だった」と絶賛した。 2008年も開幕から勝ち星を伸ばしていく。開幕から9先発9連勝、さらに6月28日から8月21日にかけても11先発で8連勝を記録するなど、自己最多の22勝を挙げ2度目の最多勝に。サイ・ヤング賞投票では今度はティム・リンスカムに次いで2位となる。2006年からの3年間にわたって年平均34先発232.2イニングをこなし、19勝8敗・防御率3.13・WHIP1.17・QS率68%・3年連続オールスターゲーム選出という実績を積み上げて、リーグ屈指の先発投手となったウェブは、2010年以降の新契約として3年5400万ドルという条件でダイヤモンドバックスと合意に達する。しかしこれに対して、ここまでほとんど怪我なく投げ続けてきたウェブの肩の状態を懸念した保険会社が待ったをかけたため、この合意が撤回されていたことが翌2009年になって明らかになる。 この保険会社の悪い予感は、2009年シーズンに現実のものとなった。4月6日の開幕戦を4イニング6失点で降板したウェブは、右肩の違和感から次の登板予定試合を回避。同月12日には15日間の故障者リスト入りとなる。複数の専門家に肩の状態を診てもらうなどシーズン中の復帰の可能性を模索したウェブだったが、結局8月3日に手術を受け、シーズンを棒に振ることとなった。シーズン終了後、ダイヤモンドバックスは年俸850万ドルのオプションを行使してウェブを残留させ、2010年の復活にかけたが、同年もウェブは1年をリハビリに費やし、1試合も登板することなくシーズンを終えた。
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