ゼーラント兄弟から今日まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 18:46 UTC 版)
「ベルギー国立銀行」の記事における「ゼーラント兄弟から今日まで」の解説
政府からの要求がエスカレートしてゆき、第一次世界大戦までにベルギー国立銀行は10億ベルギーフランをこえる銀行券を発行していた。政府のラテン通貨同盟をめぐる交渉にも参加した。交渉過程では景気循環を計算に入れて為替レートを決めたり、参加国の金属準備・金為替両方の制度をつくったりした。また、一貫して口座振替制度を牽引してきた。 戦中ドイツ帝国に占領されて、1918年11月まで後述のベルギー総合会社に発券を代行させた。 1926年10月25日の勅令で、金流出防止の観点から、業務範囲が定款における限定列挙で拘束された。その一つは、国債または他の政府・植民地の保証付き証券、そしてこれらと並ぶルクセンブルクの有価証券を担保として貸付ができるとしていた。 1935年、ベルギー・ルクセンブルク通貨同盟により、ルクセンブルク・フランとベルギー・フランとの交換比率が改定された。その翌年、ベルギー国立銀行はルクセンブルクへ代理店を設置した。1939年、第二次世界大戦でナチス・ドイツが侵攻してくると、理事は国外へ逃亡してしまった。その間に占領軍がブラッセル発券銀行を設立した。1940年7月、理事がマネーサプライをコントロールするために帰国を決めた。こうしてベルギーに二つの発券銀行が並び立ったのである。 戦後は1993年3月22日の立法によるまで国立銀行の独立性が制限された。1988年12月23日の立法で、発券と目的については定款があってないような緩いものとなった。国立銀行は手形交換所と証券集中保管機関も展開するようになった。監査は1935年設立の銀行金融委員会にある一部局が行っている。 ベルギー国立銀行は1851年の設立以降、ベルギー・フランやユーロの紙幣を印刷・発行してきた。貨幣価値の安定や、とくに金融システムの健全性や価値の維持に努めてきた。ベルギー政府の国庫管理や国債の発行なども扱っている。さらに年金基金の日常業務も行っている。フランス銀行の系譜を引きながら、預金供託金庫のような相方がない。 ベルギー国立銀行は有価証券処理システム、預金・金融商品保険を運営する。2003年以降は個人を対象とした信用情報センターを開設している。センターでは消費者金融、抵当融資の情報をすべて把握し、消費者を過剰債務から保護している。
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