スーパーバイク世界選手権デビュー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/01 09:19 UTC 版)
「トロイ・ベイリス」の記事における「スーパーバイク世界選手権デビュー」の解説
2000年シーズン、ベイリスは当初アメリカに渡りAMAスーパーバイクでドゥカティを駆って戦っていた。しかしスーパーバイク世界選手権第2戦フィリップアイランドでカール・フォガティが重傷を負い、結果的に現役を退くことになった。そのためベイリスはフォガティの代役・後継として、世界選手権におけるドゥカティのワークス・チーム、ドゥカティ・コルセで戦うことになった。デビュー戦の第3戦菅生ではスタートに大失敗する等、最初の3ラウンドは満足な結果を残せなかったが、その後はシーズン2勝を挙げ、シリーズランキング6位に入る活躍を見せた。 2年目の2001年シーズン、ベイリスは開幕からの5レース中4レースで2位を獲得、第5戦モンツァでシーズン初勝利を遂げた。その後もベイリスは快進撃を続け、ディフェンディングチャンピオンのコーリン・エドワーズとのチャンピオン争いを制し、第12戦アッセンで見事ワールドタイトルを確定させた。チャンピオン確定後の最終戦イモラではレース1でクラッシュして鎖骨を折ってしまった。 ディフェンディングチャンピオンとして臨んだ2002年、ベイリスは開幕から17レース中14勝という記録的な快進撃を続けていたが、コーリン・エドワーズも多くのレースで2位に入り、ポイント差の広がりを最小限に抑えていた。シーズン終盤にはエドワーズが9連勝という怒濤の巻き返しを見せ、ベイリスを逆転し最終戦イモラで自身2度目の世界チャンピオンを獲得した。このイモラでのレース1では、ベイリスはトップでフィニッシュした。しかしベネリのピーター・ゴダードがマシントラブルでコース上にオイルを撒いてしまい赤旗が振られたため、数周前時点での順位が採用されることになり、ベイリスは2位に終わってしまった。皮肉にもこの原因となったゴダードは、オーストラリアスーパーバイク選手権のスズキチームを去る時に、後継としてベイリスを推薦したという、ベイリスにとっては恩義があるライダーだった。 このシーズンのベイリスの敗因としては、彼のチームが生み出した不運が大きかった。第10戦ブランズハッチでは、タイヤを暖めるために蛇行していたチームメイトのルーベン・チャウスと絡んで重傷を負ってしまった。第9戦ラグナ・セカからチームはマシンのフレームを新しくしたが、フィーリングが変わってしまったことにベイリスは不満を述べていた。最終戦イモラでやっとチームは元のフレームに戻し、ベイリスは以前の速さを取り戻した。
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