スーパーバイク時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:20 UTC 版)
「コーリン・エドワーズ」の記事における「スーパーバイク時代」の解説
MotoGP(WGP)ライダーにはアメリカ人が多く、かつスーパーバイク出身である場合が多い。エドワーズも例に漏れずスーパーバイクからMotoGPに転向した一人である。 自国・アメリカのAMAスーパーバイクで頭角を現したエドワーズは1995年、SBK(スーパーバイク世界選手権)に挑戦。翌1996年に鈴鹿8時間耐久ロードレースにヤマハから参戦すると、芳賀紀行とのペアで優勝(大会史上最年少ペア、当時の最長記録を更新)を果たし飛躍のきっかけとする。 1998年にホンダに移籍。着実に成績を伸ばしていったエドワーズは2000年、ホンダの投入したニューマシンVTR1000SPWを駆り、古巣ヤマハの芳賀を下して初の世界チャンピオンに輝く。2001年はドゥカティのトロイ・ベイリスにタイトルを奪われるも、バレンティーノ・ロッシとのペアで臨んだ鈴鹿8耐では優勝、2勝目を飾る。 2002年はSBK史上に残る激しいシーズンとなった。シーズン前半戦はベイリスの連戦連勝、対するエドワーズはSUGO(第1レース優勝。スポット参戦の玉田誠にチームオーダーで譲られたとの噂も)など少ない勝利と多くの表彰台は獲得するものの、ベイリス絶対有利との声が強かった。それが一転したのはアメリカラウンド・ラグナ・セカ。第2レースに勝利したエドワーズはそれ以後の全レースで優勝、最終戦を残してついにポイントでベイリスを上回った。そして迎えた最終戦のイモラ、エドワーズはベイリスとの激しいバトルを制し2連勝、自身2度目のタイトルを獲得した。また、MotoGPイギリスグランプリで負傷した宇川徹の代役で参戦した鈴鹿8耐でも加藤大治郎と組んで6ピットで最長記録となる219ラップで優勝した。
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