スミス以降の成長理論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 14:36 UTC 版)
「経済成長理論」の記事における「スミス以降の成長理論」の解説
アダム・スミスはカンティロンのモデルを元に、土地と労働、資本による成長モデルを議論している。有名な分業の話に見られるように、彼は技術進歩による経済成長を考慮した。また啓蒙思想の影響を受けたスミスは、従来の思想家が食料を購入して労働力を再生産する生産主体として扱った農民や工場労働者を地主や貴族階級と同様、富を享受(消費)する対象として考察した。スミスはイギリスが目覚しい経済成長を遂げていることに注目したが、技術革新の終焉や土地の制約により成長が止まるものと考えていた。 スミス以降の経済成長の理論について考察した思想家としては、デヴィッド・リカード、ジョン・スチュアート・ミル、カール・マルクス、などを挙げることができる。リカードは土地の限界生産性、機械による技術革新といった点を考慮して、緻密な考察を行った。リカードの考察は、技術革新が賃金の低下をもたらすという結論を導いた点で悲観的であった。ミルの考察もリカードの考察を踏襲したものであるが、経済成長は、高い文化水準を謳歌する理想郷としての経済の停止状態に行き着くと論じた点で大きく異なっていた。 マルクスの考察は、リカードの影響を受けたものであったが、その分析はかなり拡大されていた。資本論の中で、彼は再生産表式というものを提示したが、これは多部門の成長理論の最初のものの1つであった。彼は長期の安定的成長の実現は難しく、それが資本主義経済の恐慌の原因になること、利潤率が長期には低下傾向にあることを示した。考察の対象は当時の経済学の水準からすると広範囲であったために、彼の成長理論は不完全なものに留まったが、後に森嶋通夫やポール・サミュエルソンによって再検討が行われている。 マルクス以降、限界革命以降の経済学者はアルフレッド・マーシャルの若干の修正を除けば成長理論について言及をあまり行わなかった。19世紀後半の非主流の歴史学派の議論や20世紀初頭のヨーゼフ・シュンペーターの議論は注目に値するが、主たる成長理論は次に示すような新古典派、ケインズ派の経済成長理論として改めて発展することになった。
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