スペイン支配下における美術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/25 15:23 UTC 版)
「エクアドル美術」の記事における「スペイン支配下における美術」の解説
1533年、スペイン人侵略者フランシスコ・ピサロによってエクアドル地域は征服され、植民都市として発展を遂げていくことになるが、これにより西洋美術との接触が始まった。1535年にペドロ・ゴセアルによってキトにコレヒオ・デ・サン・ファンが創設されると先住民に対して西洋美術の教育がなされるようになり、他の地域に先んじた美術的発展を遂げた。1556年にはペドロ・ベドンによって美術職人ギルド「ロサリオの聖母信心会」が創設され、キト派植民地美術が確立した。16世紀後半には西洋美術の影響を強く受けたメスティソの美術家としてアドリアン・サンチェス・ガルケ、トマス・デル・カスティリョ、ディエゴ・デ・ロブレス、フランシスコ・ベニテスなどが登場している。 17世紀に入るとバロック美術が伝播し、エルナンド・デ・ラ・クルスとミゲル・デ・サンチアゴを中心にエクアドルの風景や動植物の姿を幻想的に脚色した作品が登場した。18世紀後半にはスペイン王立植物園が実施したコロンビアの自然科学探検にエクアドルからアルバン三兄弟が随行し、水彩画として探検風景の記録を残した。後日出版された画集『ボゴタの植物』はラテンアメリカの自然環境に対する認識を西欧社会に促すとともに、エクアドル画家として西欧社会に作品が知られた初めての例となった。18世紀は西欧主題の絵画モチーフがエクアドルの自然環境に置き換えられて作品が制作された時代であり、ベルナルド・ロドリゲス、ベルナルド・デ・レガルダ、マヌエル・チリなどはその代表的な画家として挙げられる。しかし、18世紀末にはバロック美術やロココ美術は植民地支配を正当化しているとして批判の対象となり、愛国心を煽るような歴史画などがもてはやされるようになった。
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