スペイン戦線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/06 22:37 UTC 版)
「ルイ=ガブリエル・スーシェ」の記事における「スペイン戦線」の解説
スーシェ自身は新しく上官となったジュノーをあまり評価しておらず、ランヌの元を離れた当初は失意の時を過ごした。しかし元帥として現地軍を指揮したランヌもジュノーよりスーシェを買っており、翌年サラゴサの陥落と共にスペインを離れる際にジュノーとスーシェを交代させるよう皇帝ナポレオンに進言する。これが容れられ、スーシェはようやく念願の軍団長になることができた。スーシェは疲弊していた軍団を短期間のうちに立て直すと、自らの守備範囲であるアラゴン地方の安定に尽力、略奪を厳禁し破壊されたサラゴサを再建し、地元に最大限配慮する柔軟性を発揮してこれを成功させる。 アラゴンの平穏ぶりはスペイン戦線でも例外的なもので、これはスーシェが行政官としても極めて優秀であることを示すものだった。敵からも敬意を払われ、敵将の中にはスーシェの新妻(20歳年下の女性と結婚したばかりで、彼女をスペインに連れてきていた)の宿舎は砲撃対象から外すように指示していた者もいたという。ゲリラ掃討にも辣腕を発揮し、軍事的な成功のみならずスペイン人と共同で掃討を行うなど地元の心を掴んだ希有の指揮官でもあった。この功績で元帥に昇進したスーシェは、ロシア遠征失敗後のスペイン戦線崩壊をも耐え抜き、皇帝の退位まで持ちこたえてみせた。同年ナポレオンによってアルブフェーラ公爵位が新設され、それに叙されている。
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