スペイン、そして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 09:35 UTC 版)
1808年、ランヌは膠着しつつあったスペイン戦線を任される事となる。序盤で重傷を負ったものの、まずスペインの野戦軍を撃破、次いで苦心の末にサラゴサを攻略する。この戦線の悲惨さに心を痛めたランヌは次第に戦争を疎むようになったという。サラゴサ攻略後、スーシェに後を託すと、翌年にはオーストリア遠征に参加、レーゲンスブルク攻略戦ではあまりの苦戦に怯えた部下を叱咤し「私は元帥である以前に擲弾兵である」と叫ぶや自ら梯子を掴んで城壁によじ登ろうとして見せ(これはさすがに部下達に制止された)、奮い立った将兵達と共にこの堅塁を陥落させた。その後5月22日、アスペルン・エスリンクの戦いで優勢なオーストリア軍と交戦、敵弾を物ともせず陣頭指揮を執っている最中に足に砲弾を受けて倒れる。右足切断の緊急手術を受けた後直ちに後送され、一時は小康状態になったものの傷口が化膿して容態が悪化、31日に死亡した。ナポレオンは倒れたランヌに取りすがって涙を流して嘆き悲しんだという。ランヌは戦死した最初の帝国元帥となった。
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