スペインかぜの流行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 00:28 UTC 版)
「習志野俘虜収容所」の記事における「スペインかぜの流行」の解説
4年半に及ぶ習志野での捕虜生活において最大の事件は、1918年の秋から世界中で大流行した「スペインかぜ」(インフルエンザ)によって、25名のドイツ兵と西郷所長が命を落としたことであった。12月に最初の死者が出て、2番目の犠牲者は西郷所長であった。1919年1月1日、朝から高熱を出していた西郷は医師が止めるのも聞かず、乗馬で収容所へ向った。年頭のあいさつとして敗戦の衝撃に沈んでいるドイツ兵を励まし、この新年が彼らにとって帰国の年となることを伝えようとしたのである。あるドイツ兵は、所長の死亡はこの日の午後4時であったと記している。 スペインかぜで倒れた者、その他の持病で亡くなった者計30名のドイツ兵の墓碑は、習志野陸軍墓地(現習志野霊園、船橋市)にある。 1955年(昭和30年)、日独国交回復により習志野霊園内にドイツ兵士の慰霊碑が建立された。毎年11月の国民哀悼の日になると駐日ドイツ大使館の駐在武官を迎えて慰霊祭が行われている。
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