ストップモーションと特殊効果撮影
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 07:25 UTC 版)
「アメリカン・アニメーションの黄金時代」の記事における「ストップモーションと特殊効果撮影」の解説
ハリウッドアニメーション史における偉大な時期において、アニメーション映画の制作者たちはアニメーションにのみ専念し、他分野へは進出しなかった。多くのアニメーション制作会社は、アニメーション映画と映画作品のためのタイトルアニメーションの制作に専念していた。限られた場合にのみ、アニメーションが映画産業の他の側面に使用されることがあった。1940年代の低予算連続ドラマ『スーパーマン』では、スーパーマンが空を飛ぶ場面と怪力を振るう場面で、実写場面中の特殊効果としてアニメーションが使用された。しかし、これは一般的な習慣ではなかった。 アニメーションの孤立は、映画における特殊効果にもっぱら使用された姉妹産業であるストップモーション・アニメーションの誕生に起因する。二者の類似性にも関わらず、ストップモーション・アニメと手描きのアニメーションという二つのジャンルはハリウッドの黄金時代を通じて、滅多にその最盛期を同時に迎えたことがなかった。ストップモーション・アニメーションの名は1933年のヒット映画『キング・コング』で一躍知られるようになった。この作品においてストップモーション・アニメーターのウィリス・オブライエンは、その後の50年間で使われるようになったストップモーションの技術を確立した。『キング・コング』の成功により多くの初期の特撮映画が制作され、その内の一作でオブライエンがアニメーションを手掛けた『猿人ジョー・ヤング』は、レイ・ハリーハウゼンを含めた多くのストップモーション・アニメーターの出発点となった。1950年代にハリーハウゼンは彼自身の作品を制作した。 ジョージ・パルはパラマウント映画用に制作したパペトゥーンシリーズなどの、劇場用ストップモーション・アニメ映画を制作していたストップモーション専門のアニメーターであり、その作品のいくつかはレイ・ハリーハウゼンによりアニメートされている。パルは幾つかの特撮実写映画も制作している。 ストップモーション・アニメの人気は1950年代に最高潮に達した。SF映画の爆発的な人気により特殊撮影の分野は急成長し、ジョージ・パルは幾つもの人気を博した特撮映画で監督を務めた。一方レイ・ハリーハウゼンは、『空飛ぶ円盤地球を襲撃す』『シンバッド七回目の航海』『原子怪獣現わる』などの作品において大衆を惹き付け、映画における「リアル」な特撮の発展を活気付けた。これらの特撮映画はセルアニメーションと同様の技術を使っていたが、この二つのメディアが同時に現れる例は少なかった。ストップモーション・アニメは、『2001年宇宙の旅』でのダグラス・トランブルによる実写と見紛うばかりの特殊撮影で、その頂点を極めた。 ハリウッドの特殊撮影は概ねセルアニメーションとは無関係に発展し続けてきたが、いくつかの特記すべきアニメーション場面がこの時期の長編実写映画に含まれていた。これらの内で最も有名なのは、映画『錨を上げて』において、俳優ジーン・ケリーがアニメーションで描かれた『トムとジェリー』のジェリーとダンスを踊る場面である。しかし、これらの特殊な用途以外にも、セルアニメーションは実写映画において字幕やタイトル画面で使用された。『めまい』『北北西に進路を取れ』『サイコ』などのアルフレッド・ヒッチコックの映画におけるソール・バスによる伝説的なタイトル・アニメーションは、多くの模倣者を生み出した。同様に映画『ピンク・パンサー』シリーズのオープニング・アニメーションは、同名のキャラクターに基づいたアニメーションシリーズを生み出すほどの人気を得た。
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