スタンダード・オイル・トラストの解体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 10:02 UTC 版)
「エッソ」の記事における「スタンダード・オイル・トラストの解体」の解説
ロックフェラーのスタンダード・オイルが反トラスト法により企業分割されたとき、同社が持つ商標の多くは分割後の企業が担当していた地域に合わせて権利が与えられた。「SO」はその一つであった。「Esso」はスタンダード・オイルを意味する「S」「O」の発音からトラスト解体後にスタンダード・オイル・オブ・ニュージャージーが作った商標である。 スタンダード・オイル・オブ・ニュージャージーは、1926年3月にIG・ファルベンインドゥストリーが50%支配するドイツガソリン社へロイヤル・ダッチ・シェルと25%ずつ資本参加した。1927年にIGと協定、IGへ資金提供する見返りに、原油精製で水素を添加する技術をIGが世界規模でプールしてスタンダードにライセンスした。1929年11月、IGと合弁でSIG社を設立した。趣旨は1927年と変わらないので、スタンダードが8割を出資する代わりに、IGがSIGへ水素添加分野特許を使うドイツ以外での実施をライセンスした。このときIGは3000万ドル相当のスタンダード株式を取得し、実施による収益の2割をもらう権利を得た。 その後、SIGは水素添加分野の特許権をスタンダードの子会社International Hydrogenation Patents Co. に譲渡した。そしてスタンダードはIHP株50%をシェルに売却した。このとき、IHPのライセンス業務に際してエンジニアリングを担当する会社International Hydrogenation Engineering & Chemichal Co. がオランダのハーグに設立された。1933-34年、IHPはインペリアル・ケミカル・インダストリーズへ水素添加特許の排他的実施権とIHP収入の1割をもらう権利を得た。 この特許プールは国際カルテルであって、石油精製に関する各種標準規格の土台となった。パテントプールはライセンス料を下げるのが存在意義であるが、それを主張するときに歴史的な事例は顧みられない。 少なくともスタンダードは解体されたようでいて、実は生きていたのである。
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