ジャンルを越えた活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 04:57 UTC 版)
名実共に日本を代表するアクションスターとして活躍していたが、1978年から本格的に時代劇へ進出する。主演映画『柳生一族の陰謀』は興行収入30億円以上の記録的大ヒットし、1979年に第2回日本アカデミー賞の優秀助演男優賞を受賞した。柳生但馬守宗矩(若山富三郎)・宮本武蔵(緒形拳)と華麗で凄みのある一騎討ちを披露した主演映画『魔界転生』(1981年)は観客動員数200万人・配給収入10.5億円を超し、映画『赤穂城断絶』(1978年)、『闇の狩人』(1979年)、『里見八犬伝』(1983年)、『必殺4 恨みはらします』(1987年)などにも出演。特に『柳生一族の陰謀』、『魔界転生』、テレビドラマ『柳生あばれ旅シリーズ』(1980年 - 1983年)の柳生十兵衛三厳と、傑作と評価されている『影の軍団シリーズ』(1980年 - 1985年)の服部半蔵は、十八番である。(⇒ #時代劇) 1979年には芸能生活20周年記念作品である映画『戦国自衛隊』で、主演と日本映画初のアクション監督を兼務し、配給収入で13.5億円のヒットをした。その演出が評価され、1980年にブルーリボン賞のスタッフ賞を受賞した。1981年の主演映画『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』は自ら企画し、前年の『忍者武芸帖 百地三太夫』と『吼えろ鉄拳』(1981年)は俳優とアクション監督を兼ね、『燃える勇者』ではアクション監督に専念。1989年の『将軍家光の乱心 激突』では再びアクション監督と俳優を兼務したが、この作品は第39回ベルリン国際映画祭に招待された。1990年にはプロデューサーと初の監督を兼ねた映画『リメインズ 美しき勇者たち』を手がけ、アクション映画の全盛期を牽引していた。(⇒ #アクション映画) この頃は演劇にも進出し、3年間にわたって満員御礼となる記録的な成功を収めたミュージカル『ゆかいな海賊大冒険』(1982年 - 1984年)、『酔いどれ公爵』(1985年)など複数の作品を企画・演出・主演し、JAC ミュージカルとして定期的に公演した。(⇒ #演劇) 1970年代から1980年代にかけて、テレビドラマ『七色とんがらし』(1976年)や『十字路』(1978年)、『深夜にようこそ』(1986年)、『夢に見た日々』(1989年)のホームドラマにも主演。1982年には楽曲「誓い(JACのテーマ)」を作詞、1985年には10年ぶりに歌手としてリリースした「曠野」の作曲も手がけ、俳優・歌手に留まらない映画監督・映画プロデューサー・作詞家・作曲家など、その活躍ぶりはジャンルを越えて幅広いものであった。(⇒ #音楽)
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