ジミー・バッサー(アメリカ)
1972年、わずか6歳でミジェットカーに乗りレースデビュー。74年には早くもナショナルチャンピオン、翌75年と2連覇。83年にジム・ラッセルのレーシングスクールを卒業し、84年にはフォーミュラ・フォードにステップアップ。北米プロ選手権で11戦5勝してルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝く。87年にフォーミュラ・アトランティックに参戦しラグナセカで初優勝。88年にはインディ・ライツに進んだが、その後数年は伸び悩み、CARTにステップアップを果たしたのは92年。デビューイヤーこそランキング下位に低迷したものの、その後CARTのトップドライバーに成長し、96年にはホンダ・エンジンを得て大きく開花。序盤に4勝をあげて見事チャンピオンに。2000年までチップガナシーチームで、上位を争っていたが、01年にパトリックレーシングに移籍後、戦績は低迷気味。02年チーム・レイホールで戦い、03年にはヨハンソンのチームに移籍して復活にかける。
ジミー・バッサー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/11 16:38 UTC 版)
ジミー・バッサー (Jimmy Vasser、1965年11月20日 - ) は、アメリカ合衆国の元レーシング・ドライバー。カリフォルニア州カノガ・パーク出身。現在はKVレーシング・テクノロジーの共同オーナー。バッサーは1996年にチップ・ガナッシ・レーシングで4勝を挙げ、その年のインディカー・ワールドシリーズ(CART)チャンピオンとなった[1]。彼はCARTにおける最後のアメリカ人シリーズチャンピオンであった。
- 1 ジミー・バッサーとは
- 2 ジミー・バッサーの概要
固有名詞の分類
- ジミー・バッサーのページへのリンク