シヴァリク高原のラジャとの対立
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「グル・ゴービンド・シング」の記事における「シヴァリク高原のラジャとの対立」の解説
軍事司令部であるカールサーの形成によりシヴァリク高原のヒンドゥー教のラージャとうまく行かず、彼らはこの地方からグルを排除するために動いた。しかし、1700〜1704年に行われた彼らの遠征は失敗に終わった。 高原の地主たちの内の二人であるBalia Chandとアリーム・チャンドはグルが狩猟の遠征に出た際、グルに奇襲を仕掛けた。戦闘が続く間、アリーム・チャンドはなんとか脱出したが、Balia Chandはグルの側近ウデ・シングに殺された。 シク教の力の台頭を試すための試みが数回に渡って失敗した後、高原の地主はムガル帝国の統治者の助けを仰いだ。デリーにいたムガル帝国の王は将軍のDin BegとPainda Khanに対しそれぞれ5000人の兵を持たせて軍を送り込んできた。ムガル帝国軍は高原の地主たちによる連合軍に参加する形となった。しかし、彼らはグルの軍を破ることに失敗し、Painda Khanは第一次アナントプルの戦い(英語版) (1701年)で死亡した。 グルの影響力の増大を懸念して、複数の高原に住むラージャが状況に関し議論するためビラースプル(英語版)に集まった。Bhim Chandの息子、カフルールのラージャ・Ajmer Chandはグルの勢力増大を抑えるため連携をとることを提案した。これを受け、ラジャたちは連合軍を結成し、アナントプルへと進軍した。彼らはグルに対し、アナントプル (Ajmer Chandの領地内にあった) に対する貸借料を支払い、土地を立ち退くよう求める内容の手紙を送付した。グルは、土地は彼の父によって購入されたものであり、故に彼の所有下にあると主張した。これを受け、1701年から1704年まで戦闘が行われた。高原のラジャたちはJagatullahが指揮する大規模なグルジャル(英語版)に参加した。Duni Chandはグルを援護するためマージュハ(英語版)地方から500名の男を率いて参戦した。グルを支援するため、他の地域からも援軍が到着した。第二次アナントプルの戦い(英語版)として知られるこの衝突は高原のラージャたちの撤退に終わった。 その後、高原のラージャたちはグルとの平和協定の交渉を行い、グルにアナントプルを出て行くよう求めた。これを受け、グルはNirmoh村へと移った。Nirmohが要塞化されていないことを見て取ったラージャ・Ajmer Chandとカーングラ(英語版)のラージャはグルのキャンプに攻撃を仕掛けた。しかし、彼らはグルを破ることができなかったため、ラージャ・Ajmer Chandはムガル帝国におけるシルヒンドとデリーの地方君主に使節を派遣し、グルに対する助けを仰いだ。シルヒンドの地方君主であったワズィル・カーン(英語版)の軍が高原のラージャを支援するために到着した。ワズィル・カーン軍による攻撃はグルに対し、グルに対し好意を示していたBasoliへの撤退を強いた。 Basoliで数日を過ごした後、グルはアナントプルへの進軍を開始し、地方のラージャは彼と和平を結ぶことを決断した。しかし、2年後にはラージャとグルの間の敵対が再度噴出した。ラージャ・Ajmer Chandはナラガル(英語版)、チャンバ(英語版)、ファテープル(英語版)と同盟軍を結成し、1703年〜1704年にかけアナントプルを攻撃した。彼らは三度目のアナントプルの戦いでもグルを追い払う事ができず撤退した。 高原のラージャから援軍の請願が繰り返されたことで、ムガル帝国はSaiyad Khanを大将とする軍を派遣した。Saiyad KhanはPir Budhu Shahの義理の兄弟であり、Pirはグルを高く称賛した後グルの側へと寝返った。ラムザン・カーンは帝国軍の指揮を取り、1704年3月に高原のラージャ達と共同でアナントプルへと攻め込んだ。1年の収穫期に当たる時期であり、グルの支持者の大部分は彼らの家へと戻っていた。グルはムスリムの支持者であったMaimun KhanとSaiyad Begに支援を受けたが、相手の軍に数で上回られたことで、アナントプルを明け渡すことを決断した。ムガル帝国軍は市内で略奪を行った後、シルヒンドへと戻った。彼らは戻る途中でグルの軍による奇襲を受け、グルの軍はアナントプルから強奪された戦利品を再び取り戻した。グルはその後再びアナントプルに戻った。 「第一次アナントプルの戦い」および「第二次アナントプルの戦い」も参照
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