シンセサイザーの命名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 07:26 UTC 版)
「シンセサイザー」の記事における「シンセサイザーの命名」の解説
1956年頃 (1955年説もある)、RCAプリンストン研究所の ハリー・オルソンとハーバード・ベラーが「RCA マークII サウンド・シンセサイザー」(RCA Mark II Sound Synthesizer) という真空管製でパンチテープ制御式のコンピュータ用音源を開発し、1957年コロンビア大学に同機は設置された。歴史上「シンセサイザー」(合成)という単語が用いられた初めての音響合成機器とされており、構成図 によれば 現在のアナログシンセサイザーの基本要素をほぼ備え、録音 によれば 初期DTM音源と同程度の演奏が可能だった事を確認できる。なお同機は、確率論に基づく音楽の数学的解析と音楽生成手法の研究のために開発された音源であり、音響合成の研究や楽器の確立は特に目的としていなかった。 このほか、コンピュータ連携の有無は不明だが、1955年頃ドイツの総合電機メーカー シーメンス が、英語で "Siemens synthesizer" と呼ばれる電子音響合成システム(ドイツ語名不詳) を開発して同社Siemens Studioに設置している。これは同社が当時制作中だったシーメンスグループの記録映画に、飛びぬけた音楽をつけようと若手作曲家Josef Anton Riedlに依頼をし、この作曲家に同社研究所が協力する形で開発された。システムの構成は、戦争中の通信用ヴォコーダを改造した音楽用ヴォコーダを中心に、その他の音源ソース(パルス波, ノイズ)、フィルター、テープレコーダ、ミキサー等からなり、RCAの装置と同様にパンチテープによる自動制御も装備していた。システムは同社Siemens Studioに設置されサウンドトラック制作に使用された後、1960-1963年には同機の有効活用を目的に多数の現代作曲家が招聘された。しかしこの文化活動は多額の費用がかかったため許容範囲を逸脱し、1963年同スタジオはUlm School of Design (ドイツ語:Ulmer Hochschule fur Gestaltung)に譲渡され、そこで数年間の利用の後、閉鎖された。 Buchla 100 series モーグ博士とモーグ・シンセ
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