シリーズⅡの登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 09:29 UTC 版)
「フェラーリ・250GTO」の記事における「シリーズⅡの登場」の解説
.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} ほぼ同じアングルから見た250GTO シリーズⅠ(上)、シリーズⅡ(中)、250LM(下)。シリースⅡのボディは250LMに近い形状をしていることが分かる。 1962年にデビューした250GTOはレースで好調に勝利を収めていた。63年になるとアメリカのシェルビー・アメリカンがコブラで選手権に参戦し、GTクラスでフェラーリに勝負を挑んだ。この年はコブラの競争力不足により勝利することができたが、フェラーリは翌年さらに競争力を高めてくるであろうコブラに備えるため、250GTOの後継モデルの開発を始めた。こうして作られた250LM(LMはル・マンの意味)はプロトタイプクラスの250Pをベースとしていたが、フェラーリは車両を量産しGTクラスの公認を得ようと考えた。 エンジンは250GTOと同じく3.0L V型12気筒だが、実際にこのエンジンが搭載されていたのは最初に製作された1台だけで、その後製作された車両には3.3L エンジンが搭載されていた。デザインはピニンファリーナが担当し、スカリエッティがボディを製作した。また、250LMには奇数のシャシーナンバーが割り当てられた。これはフェラーリの決まりで、奇数はロードカー用、偶数はレーシングカー用の番号を意味するものであった。 1963年10月、パリ・モーターショーで250LMは初披露された。翌年1964年4月、フェラーリは250LMをGTクラスとして公認するようFIAに申請した。しかし、250GT SWBのバリエーションとして認可されていた250GTOと違い、250LMはエンジンの搭載位置がフロントからミッドシップに変更されるなど新設計がなされたため、FIAはフェラーリの申請を却下し、250LMはGTクラスとして認められなかった。フェラーリは急遽64年のシーズン用に、既存の250GTOに新たなボディを架装した"シリーズⅡ"を開発した。基本的なレイアウトはシリーズⅠを踏襲するが、ボディ形状は250LMに似たデザインがなされた。 250GTOシリーズⅡは1964年のデイトナ2000㎞レースにワークスとN.A.R.T.共同で初出場した。このレースの予選では、シェルビーアメリカンからエントリーしたシェルビー・デイトナに先行され、決勝でもリードされたが、給油中の火災によりシェルビー・デイトナがリタイアしたためデビューウィンを成し遂げることができた。この後の活躍もあり、フェラーリにGTクラスの3年連続チャンピオンをもたらした。ただル・マンなど数戦でシェルビー・デイトナに敗れている。一方で250LMは車重が重く、レースでの勝利はほとんど地元のスプリントレースやヒルクライムなどで挙げたもので、1965年にはル・マンで優勝を成し遂げているが、この勝利は大番狂わせと見られていた。
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