シュトックハウゼン
1928年8月22日ドイツのケルン近郊生まれ。1948年から本格的に音楽を学び始め、公表されている最初の作品は合唱曲『ドリスのための合唱曲』(1950年)。1951年からダルムシュタットの国際現代音楽夏季講習に参加し、55年からは講師も務めた。さまざまな作曲スタイルを経たのち、77年からオペラ『光』の作曲を開始。それまでの技法や形式を集大成させた大作で、一部ずつ初演が行われてきた。
もっとも新しい作品『光』まで、作品は全て一貫した作曲信念が貫かれているが、作曲技法は時代に応じてさまざまなものが試みられてきた。一躍シュトックハウゼンの評価が高まったのは、1955年の『少年の歌』で、当事もっとも盛んに議論されていたセリー技法を使いながら、電子音と少年の歌声を美しく調和させた。パリでメシアンのもとで学び、ミュージックコンレートや厳密なセリー理論を吸収し、より編成の大きな作品も目立つようになる。生楽器による『クロイツシュピール』(1951年)、『コントラ・プンクテ』(1952-53年)、『グルッペン』(1955-57年)などの作品では、音の持続、音の強さ、音の高さなど、従来音の要素とされてきたものに加えて、空間内での響かせ方も緻密に構成され、それでいながらダイナミックな躍動感も保持された。
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