サン・フランシスコ号漂着事故とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > サン・フランシスコ号漂着事故の意味・解説 

サン・フランシスコ号漂着事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 05:50 UTC 版)

御宿海岸」の記事における「サン・フランシスコ号漂着事故」の解説

詳細は「サン・フランシスコ (ガレオン)」を参照 西暦グレゴリオ暦1609年9月30日和暦換算慶長14年9月3日)、メキシコ航海中のスペインガレオン船サン・フランシスコ号乗組員373名)が暴風雨によって御宿沖(北緯35.5度)で座礁し岩和田漂着した(なお、漂着現場現在の御宿町域内ではあるが、太平洋面する田尻海岸であり、本項でいう御宿海岸ではない)。そこで地元岩和田当時人口300人)の村民総出で“ドン・ロドリゴ”ことロドリゴ・デ・ビベロ総督含めた乗組員317名を救出し着物食料提供した。このことは大多喜城主・本多忠朝にも伝えられ事故37日間わたって岩和田村民援助をした。 それから、ドン・ロドリゴ一行大多喜城訪れ江戸幕府第2代将軍徳川秀忠や、駿河にいた徳川家康謁見し、翌1610年慶長15年)、家康新たに建造させた船で無事メキシコアカプルコ帰航した。日本人太平洋航海して他国へ行くのはこれが初めであった1873年明治6年)には、岩倉使節団もこの話を聞かされたという。 1928年昭和3年)、漂着現場から1キロメートルほど離れた岩和田高台に、日本スペイン、メキシコ交通発祥地として、「日西墨三国交通発祥記念之碑」(通称メキシコ記念塔)が建立された。なお、1978年昭和53年)にはアカプルコ市と姉妹都市協定締結しており、現在もなおメキシコとの交流続いている。 メキシコ記念塔含めたメキシコ記念公園」は「ちば眺望100景」にも認定されており、眼下御宿市街地御宿海岸一望できる入場料無料で、開園時間は8時 - 17時冬季16時半)。

※この「サン・フランシスコ号漂着事故」の解説は、「御宿海岸」の解説の一部です。
「サン・フランシスコ号漂着事故」を含む「御宿海岸」の記事については、「御宿海岸」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「サン・フランシスコ号漂着事故」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「サン・フランシスコ号漂着事故」の関連用語

1
10% |||||

サン・フランシスコ号漂着事故のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



サン・フランシスコ号漂着事故のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの御宿海岸 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS