サン・フランシスコ・デル・モンテ(San Francisco Del Monte)
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「ケソン市」の記事における「サン・フランシスコ・デル・モンテ(San Francisco Del Monte)」の解説
サン・フランシスコ・デル・モンテ(San Francisco Del Monte)は、マニラの「イントラムロス(Intramuros)」の居住者のための移転地として、1590年2月17日に設立された。「アモラント通り(N.S. Amoranto Sr. Avenue)」は以前「レティロ(Retiro)」と呼ばれていた。レティロ(Retiro)とは、「retreat=引退」という意味で、多くの引退者の人たちを集めることを念頭に開発された地区でもある。この地区の一番古区からある建物は、聖フランシス教会で、スペイン人の慈善修道士であり創設者でもある、「聖フランシス(St. Francis)=アッシジ(Assisi)」にちなんで名付けられた。 スペイン統治時代の間、250エーカー(1.0km²)のこの地区は独立している町であったが、後にケソン市が成立すると共に、吸収合併された。現在では、市内でも最も人口密度の高い地区となっている。バランガイ「サンアントニオ(Barangay San Antonio)」に代表されるように、この地域は多くの住宅地を含んでいる。同時に、フォアンルナ通り(Judge Juan Luna street)沿いには、多くの工業施設も存在している。また、この地区の大きな交通の要所として、ルーズベルト通り(Roosevelt Ave)とデルモンテ通り(Del Monte Ave)の交差点がある。 初期のこの地区は、2.5km²のプロジェクト7および8(Project 7 and 8)エリアから開発が始まり、現在ではティモッグエリアに迫るところまで来ている。「パライソ(Paraiso)」、「パルトック(Paltok)」、「マサンボン(Masambong)」、「ダマヤン(Damayan)」そして[デルモンテ(Del Monte)」等のバランガイから構成されている。
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