サビーン郡の設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 00:02 UTC 版)
「サビーン郡 (ルイジアナ州)」の記事における「サビーン郡の設立」の解説
サビーン郡はアメリカ合衆国が新しい発展時代に入った時に設立された。合衆国政府は1831年にサビーン地域を測量して郡区などに分け、1838年には、ヘンリー・ミラー・シュリーブによるレッド川「いかだ」を取り除き、レッド川を蒸気船が通れるようにしたので、地域の殖民に拍車を掛けた。1830年には蒸気船がサビーン川を航行し始めており、1850年までには通行量が増えていた。人気のある揚陸点はコロンバス、イーストペンドルトン、カーターズフェリーだった。ペンドルトンの約3マイル (5 km) 南に大型で繁栄する川港サビーンタウンがあった。開拓者の流入で南北戦争前に全盛期を迎えた。 サビーン郡はアレクサンダー・ムートン州知事在任中の1843年にルイジアナ州議会が多くの時間を掛けて創設した5郡の1つである。サビーン郡は1843年3月7日にナケテシュ郡から分離して設立された。当時テキサスは独立の共和国だったので、サビーン川が国境になった。 郡内に幾つかの郡区が追加されてから1か月足らず後に、議会は北に隣接するデソト郡との境界を定めた。当初サビーン郡の一部に考えられていたナケテシュ郡内の郡区の半分が1854年に追加された。1871年、郡南部のかなりの部分がバーノン郡の創設で分割された。このときに現在のサビーン郡領域が固まった。 郡を創設したときの法律で、郡庁所在地は当時郡内で最も重要な開拓地だったジェサップ砦の指揮官ジョン・B・メニー大佐に因んでメニーと名付けることとされた。メニーはナケテシュ・サンアントニオ道路沿いにあり、テキサスに繋がっていた。 1843年5月17日、W・R・D・スペイト判事、I・W・イーソン、S・S・イーソン、G・W・トンプソンが土地40エーカー (160,000 m²) を購入した郡に与えた。直後に30人ほどの市民が郡政委員会に町の区画を作り、区画を販売し、公共建築物を建設する手配を行うよう請願した。郡政委員会は郡庁舎と収監所の建設を企画し、区画の販売で建設資金を作った。 最初の家屋はジョン・ボールドウィンが建設し、店舗を開き、その家は酒場に使った。ボールドウィンはメニーの初代郵便局長にもなった。最初の入植者はウィリアムズ・メインであり、1830年に来ていた。1850年代初期には最初のコットンジンが作られ、1850年の初めての国勢調査では白人3,347人、奴隷1,168人となっていた。
※この「サビーン郡の設立」の解説は、「サビーン郡 (ルイジアナ州)」の解説の一部です。
「サビーン郡の設立」を含む「サビーン郡 (ルイジアナ州)」の記事については、「サビーン郡 (ルイジアナ州)」の概要を参照ください。
- サビーン郡の設立のページへのリンク