サビーニー戦争とは? わかりやすく解説

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サビーニー戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 09:39 UTC 版)

ロームルス」の記事における「サビーニー戦争」の解説

娘を攫われたラテン人国々サビーニー人ローマ非難したが、ロムルスはこれを一蹴したローマ蛮行にカエニナ、アンテムナエ、クルスツメリウスというローマ敵対する3つのラテン人サビーニー人の国が挙兵してローマ最初大規模な対外戦争勃発したロームルスレギオー率いて戦争に赴き、ローマ攻め入ってきた諸国軍を悉く打ち破った主力であったカエニナ王国の王アークロンは戦場討ち死にしロームルスはアークロン王が身に着けていた鎧を戦勝物(スポリア・オピーマ)として、主神ラティーヌス捧げた伝えられている。ロームルス同胞であるカエニナ王国寛大に接し、彼ら全てローマ王国の民として取り込んだ続いてアンテムナエとクルストゥメリウスもローマ破られ併合された。 やがて様子見ていたクレースの王ティトゥス・タティウス率いられ軍勢ローマとの戦い参加したタティウスローマ一角を占めるカピトリヌス丘への攻撃行った。丘の守備隊クレス軍の攻撃退けたが、タティウス指揮官の娘タルペーイア篭絡して開城させた。タルペーイアタティウスから協力すれば礼として「兵士達が身につけているもの」を渡すと言われ、これを兵士達が身に着けている金の腕輪考えていた。しかし兵士達腕輪ではなく盾をタルペーイア投げつけ、彼女は盾に押し潰され死んだタティウス策謀でカピトリーヌス砦を奪われロームルス主力軍を引き返し両軍都市中心部大広場激突した戦いで最初ローマ軍が不利を強いられロームルス父祖ラティーヌス神に勝利を祈った伝えられている。翌日ローマ軍反撃転じて戦局逆転敗れたクレス軍はローマから敗走していった直ちローマ軍クレス軍への追撃開始したが、そこに連れ去られていた住民の内、サビーニー系の人々ロームルスにサビーニーの国々寛大な処置を行うように嘆願したという。 ロームルスはクレース王ティトゥス・タティウス共同王に迎えサビーニー人の有力貴族元老院議席与える事を対案にサビーニー全土併合した

※この「サビーニー戦争」の解説は、「ロームルス」の解説の一部です。
「サビーニー戦争」を含む「ロームルス」の記事については、「ロームルス」の概要を参照ください。

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