サビ鳥獣保護区 (1898 - 1926)
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「クルーガー国立公園」の記事における「サビ鳥獣保護区 (1898 - 1926)」の解説
1895年、ヤコブ・ルイス・ヴァン・ウィックはヴォルクスラードに招待され、クルーガー国立公園に後に至る地域を鳥獣保護区にしようと活動した。この動きは同じヴォルクスラードの構成員であったR.K.ラブデーの賛同を得た。1895年9月に行われた討議での投票で過半数に達する賛成を得た事から承認され、1898年3月26日にトランスヴァール共和国の首相であったポール・クルーガーによって国定鳥獣保護区となる旨の宣言が為された。その後国立公園はサビ鳥獣保護区として知られる様になり、1926年にはクルーガー国立公園と名を改め、拡大された。 サビ鳥獣保護区は当初狩猟の制限及び個体数が減少する動物の保護の為に作られた。 ジェームス・スティーブンソン・ハミルトンは1902年にこの鳥獣保護区の初代管理人に就任した。当時の広さは現在の1/3程で、現在の南側の領域を占めていた。また、シンウェジ川から名を取ったシンウェジ保護区は現在クルーガー国立公園に含まれているが、1903年に保護区に設定されている。1926年にはサビ鳥獣保護区が隣接するシンウェジ保護区と合併し、クルーガー国立公園となった。 1923年にはサビ鳥獣保護区に初めて旅行客の大団体が訪れたが、これは南アフリカ鉄道の九日周遊ツアーの一部でしか無かった。旅行客はセラチ鉄道線をポルトガル領モザンビーク国境のコマチプールトからリンポポ州のツァニーンまで移動した。このツアーではサビ橋(現在のスククザ)に於いて一晩止まり、散歩をし、武装したレンジャーの先導の下、藪の中に入って行った。これはすぐにツアーの目玉となり、サビ鳥獣保護区を国立公園にするのに助けとなった。
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