コーサラ王国とは? わかりやすく解説

コーサラ王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 05:21 UTC 版)

十六大国」の記事における「コーサラ王国」の解説

コーサラ国」も参照 現代ウッタル・プラデーシュ州北東部成立した初期にはアヨーディヤー首都とし、後にシュラーヴァスティー舎衛城)に移ったコーサラ国十六大国中でも最も有力な国の1つであり、マガダガンジス川流域覇権争った。そしてそれ以上コーサラの名は後世多大な影響与え思想・宗教説話偉大な文学の舞台として現代伝えられている。 コーサラ国勢力範囲には釈迦族シャーキヤ族)が居住していた。そのためこの国は釈迦ガウタマ・シッダールタ)に冠する仏教説話主要な舞台である。釈迦パセーナディ王とのやりとりの中で釈迦族コーサラ国住民であると語っている。当時首都シュラーヴァスティー釈迦人生多く過ごした都市であり、祇園精舎纏わる説話などこの都市舞台にした仏教説話も多い。 もう1つ、この国を舞台にした文学作品としてインドの二大叙事詩1つとして知られる『ラーマーヤナ』上げられる。この物語コーサラ王子ラーマの妻シーター羅刹の王ラーヴァナによってさらわれたためにラーマは彼を追ってスリランカまで行き、見事ラーヴァナ倒しシーター救出その後国に戻って即位するという話である。 現代インドでも良く知られた話であり、1992年にはラーマ生誕の地立てられモスクバーブリー・マスジド」を巡って1000人以上の死者が出る騒乱発生したこともある。またラーマーヤナの中でコーサラ王家の祖とされるイクシュヴァーク王(Ikshvaku)はヴェーダ文献中にその名が見える王である。(ただしイクシュヴァークを祖とする家系コーサラ王家だけではない。) なお、西暦4世紀頃にコーサラという名の国が再び建てられているが、この古代コーサラ国との関係はよくわかっていない。区別するために4世紀成立した国を南コーサラ国と呼ぶ。

※この「コーサラ王国」の解説は、「十六大国」の解説の一部です。
「コーサラ王国」を含む「十六大国」の記事については、「十六大国」の概要を参照ください。

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