ケンブリッジ大学での偽ザンジバルスルタン事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 15:04 UTC 版)
「偽エチオピア皇帝事件」の記事における「ケンブリッジ大学での偽ザンジバルスルタン事件」の解説
1905年初頭、コールとスティーヴンがトリニティ・カレッジの2年生の時、ザンジバル王国の第8代スルタンであるアリー・ビン・ハムード(英語版)がイギリスを訪問中であることを知り、これを悪戯のネタにすることを思いついた。彼らは、スルタンのケンブリッジへの公式訪問(英語版)を偽装する計画を立てたが、スルタンの姿が新聞等で公表されていたため、そのままでは偽物であることがばれてしまう可能性があった。そのため、スルタン本人ではなくスルタンの叔父になりすますことにした。3月2日、彼らはケンブリッジ市長宛に、スルタンがケンブリッジの訪問を希望しているので、それにふさわしい式典を執り行うように依頼する、次のような電報を送った。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}ザンジバルのスルタンが本日4時27分にケンブリッジに到着します。彼の興味を惹くような建物の案内と馬車を手配いただけますでしょうか?ロンドンのホテル、セシルよりヘンリー・ルーカス 学生たちは、劇団の衣装担当のウィリー・クラークソン(英語版)にローブとターバンを借り、ブラックフェイスのメイクをして、ロンドン発の列車に乗り込んだ。一行はケンブリッジ駅で馬車に出迎えられ、そのままギルドホール(英語版)に通されて市長と書記官に面会すると、歓迎の式典もそこそこにケンブリッジの街並みや大学構内の案内を受けた。その様子は彼らの友人や知り合いも見ていたのだが、一行の正体に気がつく人間は誰もいなかった。それから彼らが駅に戻りたいと言い始めるまで一時間もかからなかった。しかしケンブリッジからロンドンまで行ってしまうと、大学寮の門限の22時までにケンブリッジに戻ってこれなくなるため、駅に着くと通用口から抜け出し、2台の馬車を拾って友人の家に行き、そこで普段の服装に着替え直したのだった。 翌日、コールはこの悪戯について『デイリー・メール』紙の取材を受け、1905年3月4日の紙面に掲載された。地元紙でもこの悪戯は取り上げられた。『セントジェームズ・ガゼット(英語版)』はこの出来事を「あまりに大胆な悪ふざけ」と評価した。市長は関与した学生を退学処分にしようとしたが、副学長からそのようなことをすると市長の評判をさらに落とすことになると説得されて、思いとどまった。
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