グリーンベイ・パッカーズ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 23:29 UTC 版)
「ブレット・ファーヴ」の記事における「グリーンベイ・パッカーズ時代」の解説
1992年にグリーンベイ・パッカーズに移籍して敗れた第1週・第2週ともに終盤途中出場したものの、たいした結果は残せなかった。第2週の後半から出場した彼が投げたパスはディフェンスに当たって跳ね返り、ファーブ自身がキャッチしディフェンスにタックルされたため7ヤードのロスとなった。 そして第3週、シンシナティ・ベンガルズ戦にて負傷したQBドン・マコウスキー(英語版)の代わりに途中出場。フィールドに彼が現れた瞬間、ランボー・フィールドは凄まじいブーイングに包まれたという。試合終了間際にワイドレシーバーキトリック・テイラーに逆転TDパスを決め、21-20で逆転勝利を収める。次の第4週から先発出場し、QBとしての連続先発出場記録を更新し続けた。この年3227ヤードを投げて18タッチダウン、13インターセプトの成績を残しプロボウルに選ばれた。 1995年には4,413ヤードを投げて38タッチダウン、13インターセプトでシーズンMVPに選ばれた。1996年、1997年にもMVPに選ばれた。MVPに3回選ばれたのはジム・ブラウン、ジョニー・ユナイタスに次いで3人目であり、3年連続受賞は初めてのことであった(その後ペイトン・マニングが5回受賞しているが3年連続受賞した選手は現れていない)。 1996年シーズン、グリーンベイ・パッカーズに実に31年ぶりのスーパーボウルの栄冠をもたらす(第31回スーパーボウル)。翌年もデンバー・ブロンコスに敗れはしたものの第32回スーパーボウル出場を果たした。 1998年シーズンもチームをプレーオフに導いたがワイルドカードプレーオフでサンフランシスコ・フォーティナイナーズに敗れた。 2001年のディビジョナルプレーオフのセントルイス・ラムズ戦では6インターセプトを喫した。 2006年にはダン・マリーノに次いで史上2人目の400タッチダウンパスを達成、2007年の第4週ミネソタ・バイキングス戦で歴代1位となる421個目のタッチダウンパスをあげた。 彼がパッカーズの先発QBであった16シーズンのうち負け越しはたったの一度であり、チームは長きに渡り好成績を残した。選手としては高齢ゆえ、2002年前後からは毎シーズンごとに現役続行するか否かに注目が集まっていた。2007年シーズンNFCチャンピオンシップゲームでニューヨーク・ジャイアンツに敗れた後、2008年5月引退を表明した。 パッカーズ時代に彼はチームを率いて地区優勝7回(1995年-1997年、2002年-2004年、2007年)、NFCチャンピオンシップゲーム出場4回(1995年-1997年、2007年)、スーパーボウル出場2回(うち第31回スーパーボウルで優勝)の成績を残した。
※この「グリーンベイ・パッカーズ時代」の解説は、「ブレット・ファーヴ」の解説の一部です。
「グリーンベイ・パッカーズ時代」を含む「ブレット・ファーヴ」の記事については、「ブレット・ファーヴ」の概要を参照ください。
- グリーンベイ・パッカーズ時代のページへのリンク