キャラクターショーとローカルヒーロー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 15:22 UTC 版)
「ローカルヒーロー」の記事における「キャラクターショーとローカルヒーロー」の解説
ヒーロー物は子供への訴求力が大きく、その物語の登場人物に成り切ってごっこ遊びをする男子児童がしばしば見受けられる。1967年(昭和42年)、会津博覧会(福島県)の円谷プロ「怪獣館」において、怪獣の着ぐるみ、近くにいた自衛隊員、そして子供たちがコミュニケーションを取りながら進めるごっこ遊びあるいは寸劇が意図せずなされ、子供たちが興奮して参加した。この経験はキャラクターショーとして商業化され、子連れ客の集客を企図する全国各地の遊園地や商業施設において行われるようになった。 他方、前述のヒーロー物のステレオタイプを踏襲し、従来全国区で製作されていた同種作品のブームの最中、石ノ森章太郎の出身地である宮城県のスーパーマーケットチェーン「エンドーチェーン」(仙台市)が企画して、1973年(昭和48年)に『レインボー・アタックエース』が東北放送のローカル番組として放送された。これがローカルヒーローの元祖と言われる。 全国放送のヒーロー物では、異形の等身大ヒーローが地球の平和を乱す悪の組織と戦うという壮大な勧善懲悪物語であるが、キャラクターショーやローカルヒーローではより小さな地域レベルの身近な悪を正すことになった。それでも児童への訴求力を持ち得たため、伝えたいメッセージを盛り込んだダジャレを名称とし、全国放送のヒーローを真似た衣装を身に着けた様々なローカルヒーローが生み出され、道徳や地域の問題解決法を子供に教育するキャラクターショーが行われるようになった。当初は『月光仮面』のような布による覆面で簡便な衣装を用いたが、団塊ジュニア以降の子供の注目を得るためには彼らが見慣れたヘルメットによる仮面・覆面が必要になり、衣装も特注の高価なものになった。結果、ある程度の資本があり、子供の注目を集めたい遊園地・商業施設・商店街・ローカル局、あるいは道徳やマナーを子供に教育したい自治体や防災・防犯組織などがローカルヒーローの担い手として定着した。
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