カトリックの聖レミギウス教区教会
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「オーバー=メルレン」の記事における「カトリックの聖レミギウス教区教会」の解説
1213年10月19日にオーバー=メルレンの教会に関する最初の記録が遺されている。この中で国王フリードリヒ2世は、(オーバー=)メルレンの教会の保護権の半分をフィリップ王がドイツ騎士団に移譲したことを確認している。ドイツ騎士団は、1220年にハインリヒ・フォン・イーゼンブルクとクレーベルクおよびクレーベルク女伯オイフェミアから残り半分の権利も獲得してた。1814年までドイツ騎士団は、この集落のほぼすべての司祭を掌握していた。 古い教会は、1591年に行軍中のアンハルトの軍隊によって火を付けられ、破壊された。教会は1607年に再建された。オーバー=メルレンは宗教改革後もカトリックの村として残った。 1716年7月27日に村は大火によってほぼ完全に破壊された。教会も炎の犠牲となった。1718年から1728年にかけて現在の教会が新たに建設され、1728年にマインツの補佐司教カスパー・アドルフ・シュネマウアーによって聖別された。この教会は単廊式教会で、地下に先行建造物の中世の西塔の遺構を有している。塔の段状になったボンネット型屋根は1723年に建設された。 人口増加に対応するため、1929年に教会はマインツの聖堂建設主任ルートヴィヒ・ベッカー教授の設計に基づいて、翼廊や新しい聖具室を伴う内陣を増設して十字型に拡張された。この教会は、1929年の教会守護聖人であるレミギウスの日にマインツ司教ルートヴィヒ・マリア・フーゴー博士によって聖別された。 長堂内にはバロック様式の装飾が一部遺されている。1726年から1728年の教会新築時代の祭壇は側廊にあり、内陣の主祭壇は1861年に制作されたものである。切石の壁で囲まれた教会の庭は19世紀半ばまで墓地として利用されていた。教会の庭の西側には、1870年/71年の普仏戦争で犠牲になったオーバー=メルレン住民のための戦没者記念碑や1752年製の十字架がある。
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