オーストリア万博出品
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「日本酒の歴史」の記事における「オーストリア万博出品」の解説
明治5年(1872年)、オーストリア万国博覧会に日本酒が出品された。日本酒のヨーロッパへの初めての「輸出」とされている。しかし、日本酒の日本国外への輸出は江戸時代初期に朱印船貿易によって東南アジアに輸出されており、オランダ東インド会社の根拠地バタヴィア(現インドネシアの一部)では日本酒の飲用がその地の独自な食文化の一部として定着したことなどもあり、さらにオランダ経由で日本酒がすでに江戸時代にヨーロッパにもたらされた形跡があるとの指摘もある。また、江戸時代後半にはカムチャツカからシベリア経由でロシア帝国がヨーロッパに日本酒を紹介していたことなども明らかになっている。しかしながら日本酒が政府公認のお墨付きと後押しを受けてヨーロッパに紹介されたことは事実であるといえよう。 鹿鳴館時代に来日したイギリス人アトキンソンは、1881年(明治14年)に日本各地の酒屋で火入れの様子を観察し、すでに1862年にルイ・パスツールが加熱殺菌を発見していた西洋の近代的方法と異なり、温度計のない環境で、杜氏が酒の表面に「の」の字がやっと書ける熱さとしてぴったりと華氏130度(約55℃)をあてることに驚いている。また、火入れの技法そのものは平安時代後期からあったものの、それを施さなかったときに起こる腐造のことを火落ち、あるいはそれを起こす菌を火落菌と呼ぶようになったのは、このころ以降のことである。
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