オーガスティン砦への攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 15:38 UTC 版)
「オルレアン包囲戦」の記事における「オーガスティン砦への攻撃」の解説
翌日の5月5日は、キリストの昇天日であり、ジャンヌは、イングランドの最大の外塁である西側のサン・ローラン要塞への攻撃を要請した。しかし、フランスの司令官は、要塞の堅固さと、部隊に休息が必要であることを理解していたため、彼女を説得して、昇天日にちなんで平和に過ごすことを許させた。夜通しの軍事会議で、最善策はイングランド軍の最大の弱点であった南岸にあるイングランドの砦を取り払うことであるとの結論がでた。 翌6日朝に軍事作戦が開始された。ジャンヌにより奮い立ったオルレアンの市民たちは、彼女のために民兵として立ち上がり市門に現れたため、本職の司令官にとって多大なストレスとなった。しかしながら、ジャンヌは司令官を説得し、民兵が加わることを許可させた。フランス軍はボートや艀でオルレアンから渡河してサン・テニャン(Saint-Aignan)島に上陸し、仮設の舟橋を経由して南岸へ渡り、橋の複合施設サン・ジャン・ル・ブラン砦の間に上陸した。この計画は、西側からサン・ジャン・ル・ブランを切り離して、獲得するという計画であったが、イングランド軍の守備隊の司令官ウィリアム・グラスデールは、フランスの軍事行動の意図を察知し、サン・ジャン・ル・ブラン外塁を既に急いで破壊していて、軍隊を中央のブールバール=トゥーレル=オーガスティン複合施設内に集結させていた。 伝えるところによれば、フランス軍が南岸に上陸する前、ジャンヌはブールバールの拠点への急襲を開始したとされている。しかしこの攻撃は、オーガスティン砦からのイングランド軍による砲火の側面に立たされ、ひどい災難となった。更に西側のサン・プラヴェ(Saint-Privé)砦のイングランドの守備隊は、グラスデールの援軍のために上流方面に駆け上がり、フランス軍を分断させたという叫び声があった時、攻撃は中止された。パニックとなり、フランスの攻撃隊は、当惑しているジャンヌを引き連れてブールバールから上陸場所へ撤退した。グラスデールの守備隊は、退散する彼女の姿に「魔女」を見て、これを追撃するために飛び出した。しかし伝説によると、ジャンヌは一人で向きを変え、神聖な旗を掲げて、「Ou Nom De(神の名の元) 」と叫んだと言われ、伝えるところによると、このことがイングランド軍が追撃を止めてブールバールに戻ることを決定するのに十分なインパクトを与えたとされる。逃げ去っていたフランスの軍隊は引き返し、彼女の下に再集結した。 ジル・ド・レは、この戦いの転換点を見てジャンヌに即座の攻撃再開を、城壁上の通路ではなくより遠くのオーガスティン砦を攻撃するよう場所の転換をフランス軍に指示するように説得した。終日続いた激しい戦闘の後、夕暮れ前にフランス軍は遂にオーガスティン砦を奪取した。 オーガスティン砦がフランス軍の手に渡ったことで、グラスデールの守備隊は、ブールバール=トゥーレル複合施設内に閉じ込められた。同日の夜、サン・プラヴェに残っていたイングランドの守備隊は、外塁から立ち退き、サン・ローランにいる仲間に加わるために川の北側に向かった。グラスデールは孤立していたが、彼は700人-800人のイングランドの強力な守備隊を頼りにすることができた。
※この「オーガスティン砦への攻撃」の解説は、「オルレアン包囲戦」の解説の一部です。
「オーガスティン砦への攻撃」を含む「オルレアン包囲戦」の記事については、「オルレアン包囲戦」の概要を参照ください。
- オーガスティン砦への攻撃のページへのリンク