オリンピック出場&競輪選手とは? わかりやすく解説

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オリンピック出場&競輪選手

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 06:52 UTC 版)

中武克雄」の記事における「オリンピック出場&競輪選手」の解説

1964年3月28日大阪府西成区天下茶屋生まれる。大阪市立天下茶屋中学校時代自転車目覚め天下茶屋自転車屋「河原サイクル」の店主からコーチを受ける。当初当時自転車部が強いことで有名だった大阪府立今宮工業高等学校現・大阪府今宮工科高等学校)を志望。しかし担任から「今宮工業入った勉強しないといけない」と言われ勉強嫌いだった中武即座に今宮工業あきらめ、家の近所大阪府立西成高等学校進学した西成高校には当初自転車部存在しなかったため、同級生幽霊部員仕立て上げ無理やり自転車部創立し国民体育大会スクラッチ(現 スプリント。以下スプリント表記)において、高校2年3年少年の部連覇その実力を認められ中武1982年島野工業入社し同年から今度成年の部を3連覇少年の部時代合わせ5連覇達成)。また、1983年のプレオリンピック・スプリントでは3位入賞果たした。 翌1984年ロサンゼルスオリンピックでは、東ドイツソ連といった東欧諸国ボイコット相次いだことや、エキシビションレースとはいえ同年向日町競輪場行われた全日本プロ選手権自転車競技大会全プロ)にオープン参加当時世界自転車選手権プロスプリント7連覇であった中野浩一破ったことで、一躍メダル候補へと名前が上がった。しかし、迎えたロサンゼルスオリンピック・スプリントでは三次予選敗者復活戦落車し、メダル圏内に加わることができなかった。なお、同大会のスプリントでは、当時日本大学学生であった坂本勉(のち競輪選手)が銅メダル獲得しているが、大会前注目度中武の方が上であった。 ロサンゼルスオリンピック出場契機として、その後島野工業退社同じく日大卒業した坂本とともに1985年日本競輪学校57期生として入学1986年5月1日岸和田競輪場デビューし(3着)、同月17日松阪競輪場で初勝利を挙げたこれまで競輪選手として主な実績は、1994年の日本選手権競輪静岡競輪場)における決勝6着などがある。

※この「オリンピック出場&競輪選手」の解説は、「中武克雄」の解説の一部です。
「オリンピック出場&競輪選手」を含む「中武克雄」の記事については、「中武克雄」の概要を参照ください。

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