シドニーオリンピック出場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/10 14:48 UTC 版)
「長塚智広」の記事における「シドニーオリンピック出場」の解説
2000年のシドニーオリンピックでは個人スプリントとチームスプリントに出場。チームスプリントでは長塚(第1走)、神山雄一郎(第2走)、稲村成浩(第3走)で挑み5位入賞を果たすも、メダル獲得を目指していた長塚は初めてレースの場で涙を流した。シドニーオリンピックへの出場について長塚は、会場の緊迫した空気や勝負の厳しさ、敗戦の悔しさ、金メダルを獲った選手を取り巻く国民的歓喜などを体感し、スポーツの感動を始めて味わい、成長の糧を得た気がすると振り返っている。競輪選手としても、当時トップ選手であった神山雄一郎らに直接トレーニング法などについて教わり基礎体力向上を図るなど得たものは大きく、精神面においても「このくらい練習をやっておけば、そのうちS級に上がれるだろう」という甘い考えが変化したという。 以後も世界トップクラスのロケットダッシュを駆使し、チームスプリントでは日本不動の第1走者として、その後も世界選手権自転車競技大会などの国際大会に出場を続けた。 また競輪の方では、2003年開催のオールスター競輪(一宮競輪場)で決勝に進出(6着)した。
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