競輪学校在校順位1位で卒業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:39 UTC 版)
「神山雄一郎」の記事における「競輪学校在校順位1位で卒業」の解説
高校在学中、神山は卒業後の進路としてプロの競輪選手を目指すかアマチュア選手として1988年のソウルオリンピック出場を目指すかの選択を迫られた(当時、プロの競輪選手がオリンピックに出場することはできなかった)。迷っていた神山であったが、1985年12月、父親に連れられて立川競輪場で開催されたKEIRINグランプリ'85を観戦し、場内の熱気と選手が入場した際の華やかさに魅せられ、競輪選手を目指すことを決めた。さらに、中野浩一や滝澤正光、井上茂徳、本田晴美らプロの選手がどのくらい強いのか挑戦してみたい気持ちもあったという。競輪選手となるには競輪学校に入学することが前提となるが、作新学院自転車部は練習場として宇都宮競輪場を使用しており、受験対策に不安はなかったという。その上、インターハイ優勝などの実績が評価されて1次試験は免除され、2次試験についても学科試験と小論文、面接に合格しさえすればいという優遇措置を受けることもできた。1回目の受験で競輪学校に入学した神山は、在学中も優れた成績を収め、在校順位1位で卒業した。神山はこの時期の自身について、「ボクはね、学校出るまで、ホント、苦労してないんです」と述べている。
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