競輪評論家として
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福島の引退後、鈴木は競輪中継の専門解説者として出演する機会が多くなったが、予想する上において、最も重要視していたのは、選手個人の持ちタイムであった。当時、競輪では必ずしも持ちタイムがいいだけでは勝てないという話の流れになっていたが、鈴木の持論は、勝つ選手は必然的にタイムもいいというものであった。とりわけ1kmの独走タイムについては非常に重要視していた。また、ゴール寸前の推定時速という概念を持ち込んだのも、鈴木が最初である。 また、鈴木は歯に衣着せぬ発言もしばし行った。とりわけ井上茂徳が1999年の日本選手権競輪開催直前になって引退表明をしたことについて、「このような発言をすることによって、ファンに多大な迷惑をかけかねない」として猛烈に非難。そして井上はついに一度も2着までに入ることがなかったが、「井上の発言を受け、ファンがどれだけ井上絡みの車券を買ってフイにさせられたのか分からない。」として、これまた痛烈に批判した。 2008年2月9日の午前4時33分、前橋市内の病院で死去。76歳だった。 2008年から前橋競輪場で彼の功績を称え、日刊スポーツ杯鈴木保巳メモリアルを開催。
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