オジエの反乱・投獄・復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 15:01 UTC 版)
「オジェ・ル・ダノワ」の記事における「オジエの反乱・投獄・復帰」の解説
この後、追討しようとするフランス王軍を、オジエがさんざんに翻弄する。オジエは、ローヌ川沿いのシャ[ス]テルフォールに牙城を得、マンゴネルなどの大型兵器で攻撃されても、従者ベノワがギリシア火薬で対抗するなど、痛快に立ち回る劇が語られる。 しかしそんなオジエも、やがて捕えられる。五人分の食欲があるこの囚人に対し、毎日パンを四分の一と水で薄めた古ワイン一杯しか与えませんから、と言ってテュルパン司教が、その監視役を買って出るが、そのじつ特大パンを焼かせ、巨大な銀杯を調達させて文字通りその四分の一だけを与えて存分に養った。七年が経ち、オジエのひげも白くなったが、二の腕や首筋はまだまだ太かった。 この展開で、第9枝篇(第9796~11040行)が始まる: フランスは、アフリカの王ブルイエまたはブレユス(→ブリュイエ)率いる軍の侵攻を受け、被害は甚大、「オジエがおれば」の声高まる。王は不承不承オジエの復帰を承諾。巨躯のオジエに耐久できる馬探しが始まる(王の馬ブランシャールを含む数頭の馬を試乗してぺしゃんこにする滑稽な場面が盛り込まれる。しかしオジエの愛馬ブロワフォール(→ベフロール)が、モー市の聖ファロ大修道院(→サンファロン大修道院)に預けられていると判明。見違えるほど痩せこけた馬は、前の主人とめぐり合うと、鼻息を鳴らしていななき、体を平伏させオジエを迎え、涙をさそう。戦闘準備は整ったが、オジエは自分の息子を殺した王子の命を差し出さねば働かないと、条件を出す。王は困惑するが、ネームにより、フランスの国運がかかっている事案であり、自分も息子ベルトランをオジエに斬られたが、私情ははさまない、と諫言される。しかしオジエが聖剣コルタンを振りかぶり、いざ王子の首をはねようとしていたその時、天使が降臨してその手をとどめた。 第9枝篇はここで終結するが、編者バロワによれば詩人ランベールが書き綴った真正の部分はここまでで、残りはより後年に書き足されたものだという。だが、第十詩編では、オジエは実際にブルイエ(→ブリュイエ)と戦う。相手は途中で休戦を請い、亡きキリストを聖墳墓に納棺する前、その遺骸に塗りこめたという塗り薬を使って回復した。決闘が再開し、オジエの馬ブロワフォールは悲しくも殺されてしまう。だがオジエは応酬し、相手を討ち取って、新たにボーサン(→マルシュヴァレー)という馬を得る。 この後、オジエは、さる英国王の王女を救助するが、この王女と結婚し、シャルル帝からエノー州とブラバント州の領地を与えられた。英国王女と夫婦になったという作り話は、そののちオジエがハンプトンのビーヴェス卿(ビーヴィス卿)(英語版)の父親になったという言い伝えへの布石のようである。死後、オジエの遺体は従者ベノワとともに、前述モー市の僧院に安置されたという(#モー市と聖ファロ僧院)。
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