エンドウ、メルシン攻略
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「マレー作戦」の記事における「エンドウ、メルシン攻略」の解説
1942年1月3日、S作戦に関する航空協定が成立。上陸作戦は船団がシンガポールの鼻先に近迫することでもあり、反撃は激しいと予想され、日本の航空作戦は陸軍第三飛行集団と海軍第二十二航空戦隊による大規模なものであった。12日から空襲を開始したが、英機主力はシンガポールから退避した模様でほとんど敵機を補足することができなかった。 1942年1月12日、S作戦のために陸海軍は協定を成立させた。海軍の直接護衛は「川内」を旗艦とする第三水雷戦隊を主体とするもので実施し、間接護衛は馬来部隊のほぼ全力を使用する予定であった。1942年1月16日、シンガポール方面に空母を含む有力な部隊発見の報告があり、馬来部隊主力はカムラン湾から出発して敵艦隊誘出を図るも現れず19日夕帰投。しかし、第25軍の進撃は順調で1月25日ごろにはジョホール水道に到達できると判断され、18日にエンドウに上陸する予定のS作戦は意義を失った。S作戦は延期された後、中止となった。 S作戦中止で南遣艦隊は南方軍と協議し、第18師団のシンゴラ揚陸とエンドウへの資材・人員の揚陸を引き受けた。S作戦中止により、第18師団はシンゴラに上陸した後、陸路から軍主力に追及せよと命じられた。22日午後6時シンゴラに到着。 詳細は「エンドウ沖海戦」を参照 1月26日、輸送船団を発見したイギリス空軍は、残存戦力の総力を結集してこの船団を攻撃することとした。まずは、イギリス軍とオーストラリア軍の戦爆連合の編隊34機が来襲したが、上空援護していた第11戦隊と援軍として到着した第1戦隊が迎撃して17機を撃墜して撃退した。その後に第2波の約20機が来襲したが、弾薬を撃ち尽くして帰還した第11戦隊に代わり、飛行第47戦隊の二式単座戦闘機(鍾馗)2機が迎撃して15機を撃墜してこれを撃退した。輸送船団は軽微な損害を被ったが、揚陸は支障なく続けられた。この大損害によりシンガポールのイギリス空軍は壊滅状態に陥り、こののちイギリス空軍機は殆ど姿を見せなくなってしまった。27日、英軍は駆逐艦2隻でエンドウ泊地に迫ったが、日本の護衛艦艇が迎撃し駆逐艦サネットを撃沈した。 第25軍は1月8日にQ作戦が中止になった木庭支隊に第18師団の上陸支援のために陸路メルシン方面に急行するように命じていた。22日エンドウ陣地に進出したが敵は退却。26日メルシンも市街に突入したがすでに敵はすでに退却していた。
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