エンドウ、メルシン攻略とは? わかりやすく解説

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エンドウ、メルシン攻略

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:14 UTC 版)

マレー作戦」の記事における「エンドウ、メルシン攻略」の解説

1942年1月3日S作戦に関する航空協定成立上陸作戦船団シンガポール鼻先に近迫することでもあり、反撃激しいと予想され日本航空作戦陸軍第三飛行集団海軍第二十二航空戦隊による大規模なものであった12日から空襲開始したが、英機主力シンガポールから退避した模様でほとんど敵機補足することができなかった。 1942年1月12日S作戦のために陸海軍協定成立させた。海軍直接護衛は「川内」を旗艦とする第三水雷戦隊主体とするもので実施し、間接護衛馬来部隊のほぼ全力使用する予定であった1942年1月16日シンガポール方面空母を含む有力な部隊発見報告があり、馬来部隊主力カムラン湾から出発して敵艦誘出を図るも現れ19日帰投。しかし、第25軍進撃は順調で1月25日ごろにはジョホール水道到達できる判断され18日エンドウ上陸する予定S作戦意義失ったS作戦延期された後、中止となったS作戦中止南遣艦隊南方軍協議し第18師団シンゴラ揚陸エンドウへの資材人員揚陸引き受けたS作戦中止により、第18師団シンゴラ上陸した後、陸路から軍主力追及せよと命じられた。22日午後6時シンゴラ到着詳細は「エンドウ沖海戦」を参照 1月26日輸送船団発見したイギリス空軍は、残存戦力総力結集してこの船団攻撃することとした。まずは、イギリス軍オーストラリア軍戦爆連合編隊34機が来襲したが、上空援護していた第11戦隊と援軍として到着した第1戦隊迎撃して17機を撃墜し撃退したその後第2波の約20機が来襲したが、弾薬撃ち尽くして帰還した第11戦隊に代わり飛行47戦隊二式単座戦闘機鍾馗)2機が迎撃して15機を撃墜してこれを撃退した輸送船団軽微な損害被ったが、揚陸支障なく続けられた。この大損害によりシンガポールイギリス空軍壊滅状態に陥り、こののちイギリス空軍機は殆ど姿を見せなくなってしまった。27日英軍駆逐艦2隻でエンドウ泊地迫ったが、日本護衛艦艇が迎撃駆逐艦サネット撃沈した第25軍1月8日にQ作戦中止になった木庭支隊第18師団の上支援のために陸路メルシン方面急行するように命じていた。22日エンドウ陣地進出したが敵は退却26日メルシン市街突入したがすでに敵はすでに退却していた。

※この「エンドウ、メルシン攻略」の解説は、「マレー作戦」の解説の一部です。
「エンドウ、メルシン攻略」を含む「マレー作戦」の記事については、「マレー作戦」の概要を参照ください。

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