エントリー承認まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 15:12 UTC 版)
「スーパーアグリF1チーム」の記事における「エントリー承認まで」の解説
2005年10月4日、日本GP前の記者会見において突如ホンダが 新チーム立ち上げ・参戦の動きがある そのチームにエンジンを供給する用意がある B・A・Rからの離脱が決定していたドライバーの佐藤琢磨が「そのチームからオファーを受けている」と発表した。この「11番目のチーム」を巡って童夢や中嶋悟(中嶋企画)、鈴木(ARTA)などの憶測が飛び交ったが、日本GPの時点では鈴木は噂を否定した。その後、11月1日に鈴木が東京のホンダ本社で記者会見を行い、国際自動車連盟 (FIA) に対して「スーパーアグリ・フォーミュラ1(SUPER AGURI Formula 1)」の名称で新規エントリー申請を済ませたことを発表し、ホンダの発表がこれを示していたことが明らかとなる。 しかし、12月1日にFIAが発表した2006年度のエントリーリストに、同チームが掲載されなかった。当初「書類申請上の不備」と発表されたが、実際にはエントリーに必要となる供託金4,800万ドル(約55億円)を、支払期限までに用意できなかったことが原因であった。 FIA会長のマックス・モズレーが、供託金を支払えるならばレイトエントリーを認める意向を示した。これを受けてチームは、再申請のために他10チームからの合意を年内に取り付け(12月21日にミッドランドが合意して、全チームの合意を得た)、同時進行で供託金の支援を受けるために、ソフトバンクと交渉をすることになった。同社会長の孫正義から供託金の支払いを確約されるが、スポンサーシップを巡る解釈の相違によって交渉は破綻した。 供託金準備に関しては、鈴木の友人であるサマンサタバサジャパンリミテッド当時会長の寺田和正の助けを元にあおぞら銀行からの融資を受け、供託金を支払った結果、レイト・エントリーの締切前日である2006年1月26日に、FIAからエントリーが認められた。また寺田は、サマンサキングスとしてチームスポンサーにも就いている。 2006年シーズン開幕前の2月10日付の日本経済新聞に、「亜久里ジャパン出陣」と銘打った全面広告を掲載した。翌2月11日には、同日にオープンした表参道ヒルズ近くの特設会場にてF1参戦記念イベントを開催するなどのキャンペーンを実施して、日本国内における認知度向上を図った。 なお、コンコルド協定において「Formula 1」の登録商標をチーム名に使用する場合には使用料が求められるため、2006年3月24日に「スーパーアグリF1チーム」へのチーム名変更、ならびに新ロゴマークを発表し、これを回避した。
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