エドソン・デ・カストロとPDP-X
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「データゼネラルNova」の記事における「エドソン・デ・カストロとPDP-X」の解説
エドソン・デ・カストロ (英語版)は、先駆的なディジタル・イクイップメント・コーポレーション (DEC) の PDP-8のプロダクトマネージャで、これは一般的に最初の真のミニコンピュータであると考えられている12ビットコンピュータであった。 彼はまた、個々のトランジスタの代わりに初期の集積回路を使用した、アップグレードされた PDP-8/I の設計を主導した。 PDP-8/I の設計プロセスで、デ・カストロは、組み立て可能な基板の複雑さが急速に進歩している回路基板メーカーを訪問していた。 デ・カストロは、8/Iは、1年前には不可能だったろう大型基板への完全自動組み立てで生産できると結論付けた。 DEC社内の人たちは、以前のマシンで使用されていたより小さな基板に慣れてしまい、1枚の基板上に多くの部品がある場合の問題の追跡を心配していた。 8/Iについては、密度をわずかに向上させるために新しい「フリップチップ(英語版)」パッケージを使用して、より小さな基板を使用することに決定した。 PDP-8が開発されていた時期には、1967年に ASCII が導入され、大幅に更新されたことで、それまでのほとんどの設計のように6ビットの倍数ではなく、8ビットの倍数の語長を持つ新世代の設計が登場した。これにより、現在のDECの12ビットや18ビットのラインナップではなく、16ビットの語長で動作するミッドレンジのデザインが設計されるようになった。デ・カストロは、15インチの正方形の基板1枚に16ビットのミニコンピューターCPUを搭載することで、PDP-8の改良が可能であると確信していた。 1967年、デ・カストロは、「PDP-X」として知られる新しい設計作業を開始し。いくつかの先進的な機能が盛り込まれた。これらの中には、8ビット、16ビット、および32ビットのプラットフォームを構築するために使用できる単一の基本設計が含まれていた。 これは、いくつかの詳細なアーキテクチャ・ドキュメントを作成するところまで進んだ。 ケン・オルセンは、12ビットのPDP-8や18ビットのPDP-9(英語版)に比べて十分な利点が得られないと感じ、このプロジェクトを支持しなかった。結局、このプロジェクトは1968年の春に中止された。
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