エドセルの終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:28 UTC 版)
1959年11月19日木曜日、フォード・モーターはエドセル計画の終了を発表した。しかし、1960年式の生産は11月末まで続けられ、最終集計で2,846台であった。米国のモデルイヤー制度上では1960年式の製造日数は僅かに44日に過ぎない。エドセルの総生産数は約11万6千台で、計画された損益分岐点の半分にも満たなかった。フォード・モーターは1960年当時でも異常な巨額の350万米ドル、2017年現在で2,900,000,000米ドル相当にも達する損失を計上した。エドセルの生産数は118,287台のみで、うち7,440台はカナダのオンタリオ州で生産された。米国自動車標準(英語版)機構の集計に因るところでは、エドセルが存在した3年のモデルイヤー、特にエドセル初年度の1958年は米国自動車史上最も前年比の生産数量が低下した時期であった。実生産数量の推移は1950年代の米国自動車産業(英語版)に詳しいが、1957年から1958年に掛けては実に30%もの需要の落ち込みが発生している。 同年11月20日金曜日、UPI通信社のワイヤーサービスは、フォード・モーターのプレスリリースを受けて、エドセルの中古車の簿価が400米ドル低下したと報じた。新聞業界の一部では、1960年式エドセルを含む新聞広告契約を再交渉するためにディーラーと争っていたが、販売店によってはエドセルの名を広告から完全に削除したところもあった。フォード・モーターは1960年式及び1959年式のキャリーオーバーモデルをプレスリリース発表前に購入した顧客を対象に、クーポンを発行するという声明を発表した。これはエドセルを保有する事で減少した資産価値を相殺するために新しいフォード車を購入する際にエドセルの下取り価格に300から400米ドルを上乗せするものであった。フォード・モーターはまた、未売却の株式や在庫車両を保有する販売店に対してクレジットを発行した。
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