エタリオンとテティスの拿捕とは? わかりやすく解説

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エタリオンとテティスの拿捕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/11 04:40 UTC 版)

ジェームズ・ヤング」の記事における「エタリオンとテティスの拿捕」の解説

ユニコーン次には、1799年2月38門艦エタリオン(英語版)を指揮した1799年10月16日午前3時、エタリオンは海上3つの帆影認めた風下回ったところ、それは2隻の敵のフリゲート艦と、ウィリアム・ピエールポイント艦長指揮のもと、それを追跡している38門艦のナイアッド英語版)だった。ヤング追跡加わり、その翌朝追跡側のイギリス艦に新たにヘンリー・ディグビー英語版艦長アルクメン英語版)も加わり、また追跡中にジョン・ゴア(英語版艦長トリトン英語版もやって来てトリトンは4隻目として後方から追跡加わった。ピエールポイントは、しんがりヤングのエタリオンを残して、一番前にいた艦に交戦するよう信号送り午前7時に、スペイン艦とわかったフリゲート艦2隻を引き離した。エタリオンは後ろの方のフリゲート艦追いかけた。双方とも船尾艦首砲から砲撃し接近した後に片舷射撃行いスペイン艦は降伏した。この艦は36門艦テティスであることがわかった12ポンド及び6ポンド砲を何台か搭載しており、乗員250人いた。指揮官はドン・フアン・メンドーサで、ベラクルスからスペインに戻る途中で1411526ドル当の価値貨物ココア積んでいた。エタリオンの方は、追跡中に死傷者は出なかったが、テティスでは1人戦死し、9人が負傷していた。一方でナイアッドは、アルクメントリトンと共にもう1隻の敵艦探し出して捕獲した。この艦はサンタ・ブリガーダで、やはり高価な品物積み込んでいた。各艦長賞金として、4730ポンド18シリング得た拿捕により支払われた額があまりに大きかったため、ポーツマスうろつきまわっていた各艦の乗員たちはこういわれた。「彼らは帽子紙幣を何突っ込み時計買ってそれを飛ばして遊び黄金レース帽子飾らないやつは尻を蹴られると言う法律作る。そのため銀の飾りをつけたやつは、金目のものはすべて盗まれと言って逃げることしかできない。でもそいつは商人には、金をやるから黄金レースをつけろと強要するそれぞれの艦の水夫たちが得た金額182ポンド4シリング9ペンスで、これは彼らの10年分の給料同額だった。

※この「エタリオンとテティスの拿捕」の解説は、「ジェームズ・ヤング」の解説の一部です。
「エタリオンとテティスの拿捕」を含む「ジェームズ・ヤング」の記事については、「ジェームズ・ヤング」の概要を参照ください。

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