エジソン社による商品化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 02:17 UTC 版)
「ヴァイタスコープ」の記事における「エジソン社による商品化」の解説
ジェンキンスと別れたアーマットは、エジソン社販売代理人のラフとガモンに接近し、1895年12月に彼らに向けてファントスコープの試写を行った。ラフとガモンはこれに感銘を受け、キネトスコープ事業が衰退していたエジソン社を復活させることができると確信し、ファントスコープの権利を買い取った。1896年1月15日にエジソンはこれを承認し、エジソン社が映写機を製造し、必要なフィルムを供給することに同意した。ラフとガモンはこの装置に独自の商品名を付ける必要があることを認識し、ラテン語の「vita (生命)」とギリシャ語の「scope (見るもの)」を語源とする「ヴァイタスコープ」に改名した。また、この装置から十分な利益を引き出すためには、エジソンが発明に何も関わっていないにもかかわらず、大きな商業的価値を持つエジソンの名前を使う必要があることから、アーマットとエジソンの同意のもと「エジソンのヴァイタスコープ」として宣伝することにした。ラフとガモンはアーマット宛の手紙で次のように述べている。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}いかにエジソン以外の者によって発明された装置が優れていて、その成果が満足すべきもので勝っていたとしても、顧客の大部分は何よりもまず、彼らがその発売を期待しているエジソンによって発明された装置に投資したがっています。彼らはエジソンの成果を確かめるまでは、他の何ものにも満足しないに違いありません…すなわち、最小の時間で最大の利益を手に入れるには、私どもはエジソンの名前を用いらなければならないということです。 アーマットはヴァイタスコープに小さな変更を加えて再パッケージ化し、ラフとガモンはその装置が「これまでに見たものよりも大幅に改善された」ことを認識した。ラフとガモンがヴァイタスコープを商品化する準備を進めていた3月中旬、パリやロンドンでシネマトグラフが上映され、人気を集めているという報告がアメリカに届いた。シネマトグラフはまだアメリカに上陸していないものの、すでにヴォードヴィル劇場の経営者がシネマトグラフに投資しようとしていた。ヴァイタスコープにとって脅威となるシネマトグラフがアメリカに到達するのは避けられないため、ラフとガモンはそれよりも先にヴァイタスコープを売り出せば大きな利益を得ることができると認識した。そこでヴァイタスコープを売り出す計画を早め、1896年4月3日にはウエスト・オレンジ(英語版)にあるエジソンの研究所に新聞記者を招いて試写を行った。
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