エジソン・スピーキング・フォノグラフ社
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「ガーディナー・グリーン・ハバード」の記事における「エジソン・スピーキング・フォノグラフ社」の解説
ハバードは、エジソン・スピーキング・フォノグラフ社の主要な出資者だった。エジソンが蓄音機の開発を怠ったため、ハバードは娘婿のアレクサンダー・グラハム・ベルが1881年に設立した競合会社であるボルタ・グラフォン社に協力した。ベルは、ワシントンD.C.にあるボルタ研究所(英語版)で、従兄弟でチェスター・ベル、光学機器製造者のチャールズ・サムナー・テンターとともに、紙筒に蝋を塗って記録媒体とする蝋管を開発した。ハバードとチェスター・ベルは、エジソンに合併を打診したが、エジソンはこれを拒否した。その結果、ボルタ研究所協会は、1886年にボルタ・グラフォン社の株式を、後にコロムビア・レコードに発展する会社に合併させた。
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