エジソンとの確執
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 17:17 UTC 版)
詳細は「ジョージ・ウェスティングハウス」および「電流戦争」を参照 テスラがエジソン電灯会社に入社した当時のトーマス・エジソンは研究者と発明家としてすでに実績があり、エジソンへの憧憬や敬意から就職したとも考えられ、給与未払いなどの話題もあるが、両者の確執は「直流と交流との確執」に起因している。 エジソンは、エジソン好みの直流用に設計された工場システムをテスラの交流電源で稼働させたら、褒賞として5万ドル払うと提案した。直流の優位性や安全性に加えて交流の難しさなどを考慮した発言だったが、テスラはこれを成功させた。交流を認めたくないエジソンは褒賞を「冗談だった」で済ませ支払わなかったため、テスラは激怒して後に退社する。 後年にテスラら交流陣営とエジソンの直流陣営が紛争し、エジソンは交流の危険性を広めるためのキャンペーンとして有名な電気椅子処刑を発案するなどしたが、現在は全世界で交流送電が採用されている。 以下はエジソンとの確執をあらわすエピソードである。 「エジソン」の名がつく賞への嫌悪感 IEEEの最高勲章である「エジソン勲章」の受章を1916年に打診され、一度は固辞するものの1917年に受ける。エジソンの死後、ニューヨークタイムズのインタビューで否定的にコメントしている。私は少し理論を利用するか計算するだけで90%削減できたであろう労力を彼が費すのを残念に思いながらほとんど見ているだけだった。彼は本での学習や数学的な知識を軽視し、自身の発明家としての直感や実践的なアメリカ人的感覚のみを信じていた。I was almost a sorry witness of his doings, knowing that just a little theory and calculation would have saved him 90 percent of the labor. But he had a veritable contempt for book learning and mathematical knowledge, trusting himself entirely to his inventor's instinct and practical American sense. エジソンは典型的な実験科学者、テスラは理論科学者、として研究手法が「水と油」であったことが示唆される。
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