ウスペンスキー‐だいせいどう〔‐ダイセイダウ〕【ウスペンスキー大聖堂】
読み方:うすぺんすきーだいせいどう
《Uspenskiy sobor/Успенский собор》
ロシア連邦の首都モスクワの中心部、クレムリンにあるロシア正教会の大聖堂。14世紀にイワン1世が建造。15世紀後半の地震で倒壊したが、その後、イワン3世が再建し現在に至る。国教大聖堂として歴代のロシア皇帝の戴冠式が行われた。イワン4世の玉座のほか、多くのイコンとフレスコ画が残る。
ロシア連邦西部、モスクワ州の都市セルギエフポサードにある大聖堂。16世紀末、イワン4世の命により、を模して建造された。中央の金色のドームのまわりに四つの青いドームが配され、内部の壁面には17世紀に描かれたフレスコ画が残る。1993年に世界遺産(文化遺産)に登録されたトロイツェセルギエフ大修道院の歴史的建造物群の一つで、同修道院のシンボルとされる。
ロシア連邦西部、ウラジーミル州の都市ウラジーミルにあるロシア正教会の大聖堂。12世紀半ばに建造。内部にはアンドレイ=ルブリョフが「最後の審判」を描いたフレスコ画のほか、歴代領主の墓所がある。1992年、ドミトリエフスキー聖堂や黄金の門とともに「ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。
生神女就寝大聖堂
(ウスペンスキー大聖堂 から転送)
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生神女就寝大聖堂(しょうしんじょしゅうしんだいせいどう、Dormition Cathedral)は、生神女就寝祭[1][2]を記憶する正教会の大聖堂。ロシア語 Успенский Собор (ウスピェーンスキー・サボール) の前半部のカタカナによる転写からウスペンスキー大聖堂あるいはウスペンスキー寺院とも呼ばれる。これは「永眠」を意味するロシア語 успение, Успение (ウスピェーニエ) に由来する。従って、ロシア語に代表されるスラヴ語圏とは別の言語系統圏に属する正教会であるグルジア正教会、ルーマニア正教会、ギリシャ正教会などでは生神女就寝大聖堂のことを「ウスペンスキー大聖堂」とは呼ばす「生神女就寝」を表す各々の国語での表記を用いる。
- 1 生神女就寝大聖堂とは
- 2 生神女就寝大聖堂の概要
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