ウェスタン歌手としてとは? わかりやすく解説

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ウェスタン歌手として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 04:31 UTC 版)

城卓矢」の記事における「ウェスタン歌手として」の解説

1935年昭和10年11月28日当時日本であった樺太現在のロシア共和国サハリン)に生まれる。兄の正巳はのちの作曲家北原じゅん文れいじ)、作詞家川内康範叔父叔母元夫)にあたる。第二次世界大戦中に父が死去引き揚げ室蘭市で育つ。 長じて上京し横浜市中区曙町に住む。ウィリー・ジェームズ(のちのウイリー沖山とともにブルー・レンジャーズ(1956年結成)として活動していた瀬谷福太郎が、『NHKのど自慢』に出場してハンク・ウィリアムズの『ロング・ゴーン・ロンサム・ブルース』Long Gone Lonesome Blues歌い満点獲得した菊地発見、同バンド加入させる同時にウイリー沖山ヨーデル師事同時期の沖山の弟子には山下敬二郎がいた。同バンドでのヴォーカリストとしての活動平行し横須賀流しシンガーとしても活動するウイリー沖山独立後、同バンド解散し菊地カントリー&ウェスタン歌手となり、1958年昭和33年)、東京有楽町日本劇場行なわれ第1回日劇ウエスタンカーニバル」にウエスタン・キャラバンメンバーとして出演するテイチクレコード現在のテイチクエンタテインメント)と契約1960年昭和35年)に菊地正夫の名で、ザ・コースターズバックに、シングルひとりぽっちで』でデビューするB面民謡ロック『スタコイ東京』が話題となり、『ダッキャダッキャ節』等の同様の楽曲連打するが、さほど売れなかった。1962年昭和37年)にリリースした出生地樺太思いを馳せる楽曲ふるさとは宗谷の果てに』は、のちに西郷輝彦カヴァーしてヒットした1963年昭和38年)、東芝レコード(のちの東芝EMI, 現在のEMIミュージック・ジャパン)に移籍、『アホカイ節』等、民謡ロックを歌う。

※この「ウェスタン歌手として」の解説は、「城卓矢」の解説の一部です。
「ウェスタン歌手として」を含む「城卓矢」の記事については、「城卓矢」の概要を参照ください。

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