ウィリアムズバーグ・サミットとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ウィリアムズバーグ・サミットの意味・解説 

ウィリアムズバーグ・サミット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 05:54 UTC 版)

中曽根康弘」の記事における「ウィリアムズバーグ・サミット」の解説

中曽根は、1983年5月開かれたウィリアムズバーグ・サミットに出席している。議題中心は、ソ連ヨーロッパで中距離核ミサイルSS20を展開したことに対しアメリカMGM-31 パーシングII準中距離弾道ミサイル配備すべきか否かであった。 だが、前向きな姿勢なのはアメリカレーガン大統領イギリスサッチャー首相のみで、フランスミッテラン大統領西ドイツコール首相カナダトルドー首相などは消極的な姿勢をとり、会議は今にも決裂しそうな気配見せていた。 そうした状況の中、中曽根敢然と発言する。「日本NATO同盟国でもないし、平和憲法非核三原則掲げているから従来方針では、こういう時は沈黙すべきである。しかし、ここで西側結束強さ示してソ連交渉の場に引きずり出すためにあえて賛成する決裂して利益を得るのはソ連だけだ。大切なのは、われわれの団結強さを示すことであり、ソ連がSS20を撤去しなければ予定通り12月までにパーシングII展開して一歩引かないという姿勢を示すことだ。私が日本帰れば日本何時かNATO加入したのか、集団的自衛権認めることに豹変したのかと厳しく攻撃されるだろう。しかし、私は断言したい。いまや、安全保障世界的規模かつ東西不可分である。日本従来、この種の討議には沈黙してきた。しかし、わたしはあえて平和のために政治的危機賭して日本従来から前進させたいミッテラン大統領も私の立場真情理解し同調して欲しい」これを聞いたみなは沈黙してしまったが、間髪入れずレーガン大統領阿吽の呼吸で「とにかく声明案文作ってみる」と提案して机上ベルを押すと、すぐさまシュルツ国務長官レーガン元に飛んできて、案文作成命じられた。 そして政治声明は、ソ連との間でINF中距離核戦力削減交渉合意達しない場合1983年末までに西ヨーロッパパーシングII配備する、またそのために、サミット構成国EC不退転の決意があることが謳われ経済宣告も当然採択されインフレなき成長のための10項目からなる共同指針示された。

※この「ウィリアムズバーグ・サミット」の解説は、「中曽根康弘」の解説の一部です。
「ウィリアムズバーグ・サミット」を含む「中曽根康弘」の記事については、「中曽根康弘」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ウィリアムズバーグ・サミット」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウィリアムズバーグ・サミット」の関連用語

ウィリアムズバーグ・サミットのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウィリアムズバーグ・サミットのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの中曽根康弘 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS