ウィリアムズの失態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 07:49 UTC 版)
「1995年日本グランプリ (4輪)」の記事における「ウィリアムズの失態」の解説
30周目を過ぎると2回目のタイヤ交換が行われ、上位はシューマッハ、ヒル、クルサード、ハッキネン、ジョニー・ハーバートの順となる。天候は晴れとなり、路面もドライコンディションに回復したが、コース上に撒かれたオイルや砂に乗ってコースアウトするマシンが続出する。 36周目、2位のヒルはスプーンカーブ入口でサンドトラップに飛び出し、フロントウィング交換のためピットインして5位に後退した。40周目、チームメイトのクルサードも同じ箇所でオーバーラン。コースに復帰後、裏ストレートから130Rにむけて減速した際、スプーンカーブで拾った砂利がサイドポッドから噴き出し、それに乗ってクラッシュした。41周目、ヒルにピットレーン制限速度違反のペナルティが下されるが、その周に再びスプーンカーブで砂に乗ってスピンし、リタイアした。ウィリアムズ勢の自滅により、この時点でベネトンのコンストラクターズタイトル初制覇が決定した。 シューマッハはピットイン以外はトップを譲ることなく、独走で日本GP初優勝を果たした。前週のパシフィックGPとあわせて、日本での2連戦を連勝で締めくくった。今季の勝利数は9勝となり、1992年にナイジェル・マンセルが残したシーズン最多勝記録に並んだ。 2位ハッキネン、3位ハーバートまでが表彰台を獲得。以下、アーバイン、オリビエ・パニス(リジェ)、ミカ・サロ(ティレル)までがポイントを獲得し、地元勢では井上隆智穂が12位で完走した。
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