インターネット普及時代の到来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 19:01 UTC 版)
「ニフティサーブ」の記事における「インターネット普及時代の到来」の解説
1990年代前半のニフティサーブは、技術を富士通が、営業を日商岩井がフォローするという形で成長が続いた。システム面では積極的なシステムの改良・拡張を続け、使い勝手に変化のなかった他社よりも充実させていた。コンテンツ面においては、オンラインソフトの充実や他社より積極的なメディアミックスによって知名度も高くなり、急成長の原動力となった。1995年にはパソコンブームに乗じて会員数が100万人を突破。先行していたPC-VANの会員数を突破し、日本最多の利用者を擁するパソコン通信サービスとなった。 しかし、右肩上がりの成長は長く続かなかった。1995年頃から日本でもテキストと画像など様々なメディアを混在して表示できる「インターネット」という存在が注目され始めるようになると、パソコン通信のニフティで通っているブランドは優位性を失う。1996年には会員200万人を突破したもののニフティの成長が鈍りはじめ、1997年にはほぼ横ばいになってしまった。 この頃、ニフティサーブはサービス開始以来初めて伸び悩むようになり、先進的なコミュニティを求める一部の会員はより栄えている場所を求めてインターネットや、テレホーダイの開始によって二次的に流行した草の根BBSへと流失していった。たとえば、グラフィックデータを主に扱う「FQLD」というフォーラムは1996年になるとほとんど動きが無くなってしまった。 専門的な内容を扱うフォーラムなど、あえてインターネットを利用する必要のないフォーラムは従来どおりの活動を続けるのだが、周囲の会員が減少することによってニフティサーブでは情報が不足するようになり、最新の情報を得るにはインターネットを併用する必要性が生じ始めた。この頃にはホビー方面の話題ではほとんどの場合インターネットの方が先行するようになっていた。 このような状況に対応すべく、1997年10月1日にはNIFTY SERVE INTERWAYを開始し、ニフティサーブのアクセスポイントにダイヤルアップすることなしに,インターネットから直接ニフティサーブにアクセスすることを可能とした。また、1998年4月1日からはインターネット経由接続のみを行う場合は月定額料金とした。 その一方で、ニフティ訴訟(ニフティサーブ現代思想フォーラム事件)など、コミュニティ上での言論のリスクが高くなったことは親会社の富士通や日商岩井のパソコン通信に対する積極的な関心を失わせた。
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